ブルグント王国の王ゴンドバルド(ゴンドボー)西暦463年、ブルグント王国の王ゴンディオックが亡くなった。その後継者としてブルグント王国の王となったのが、息子のゴンドバルド(あるいはゴンドボー)だった。
ゴンドバルド王は古代ローマ帝国ゆかりのリヨンのフルヴィエールの丘に宮廷を営んだらしい。(上の画像はフランス第2の都市リヨンのフルヴィエールの丘に残る古代ローマ帝国時代の劇場跡。)
ローマに留学していたゴンドバルド(ゴンドボー)王先王ゴンディオックが亡くなった時、ゴンドバルド(ゴンドボー)はイタリアのローマに留学していたらしい。古代ローマ帝国の中心でその文化を学んだというわけだろうね。(下の画像は、ローマのフォロ・ロマーノに残るカエサルのフォロと円柱。)
そんなブルグント王国の新王ゴンドバルド(ゴンドボー)は、古代ローマ帝国の属州ガリア・ルグドゥネンシスの中心だったルグドゥヌム(リヨン)の街に宮廷を置き、ガロ・ローマ文化にゲルマンの要素を取り込んだ独特の文化を育んだんだそうな。
ブルゴーニュ・ワインのブドウ畑の荒廃と再建ライン川からガリア(フランス)に入り、ローヌ川を南下してリヨン(ルグドゥヌム)に拠点を築いたブルグント王国の領域は、今のブルゴーニュ地方をも含んでいた。言うまでもなく、フランスを代表するブルゴーニュ・ワインの生産地だよね。例えばブルゴーニュのグラン・クリュのワインを生み出すブドウ畑に囲まれるジュヴレ・シャンベルタンの村では、古代ローマ帝国の支配下に入った紀元前1世紀の頃からワイン用のブドウが生産されていたらしい。(下の画像は別格グラン・クリュのワインを生み出すシャンベルタン・クロ・ド・ベーズのブドウ畑で収獲されたブドウ。)
但し、ブルゴーニュ地方のワイン生産もゲルマン諸族の侵入が相次いだ3世紀から4世紀にかけては衰退したんだそうな。でも、5世紀にはワイン用のブドウ畑が再建されたらしい。おそらくはゴンドバルド(ゴンドボー)の父によるブルグント王国統治の結果として、地域が安定したのかもしれないね。
フランク王国に敗れたゴンドバルド王のブルグント王国ところで、先王が亡くなった後のゴンドバルド(ゴンドボー)王の即位が円満に行われたわけじゃなかった。ゴンドバルド王の二人の弟たちもブルグント王になろうとしたんだ。ところが、弟たちは敗れて殺されたわけだ。殺された弟の一人には娘がいた。ゴンドバルド王はその娘クロティルドを養女として育てた。やがてクロティルドはフランク王国の王クローヴィスに嫁ぎ、クローヴィスをカトリックに改宗させたらしい。 やがてフランク王国とブルグント王国はディジョン近くで戦った。ブルグント王ゴンドバルドに父を殺されたクロティルドがクローヴィスをけしかけたという話もある。いずれにせよ、ブルグント王国軍は敗れてしまった。
でも、ゴンドバルド(ゴンドボー)王は本拠地をフランス南部プロヴァンス地方のアヴィニョンに移し、ブルグント王国を再建したらしい。(上の画像は、教皇庁宮殿から眺めたアヴィニョンの風景。もちろん当時は教皇庁宮殿は無かったけどね。)
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