水の都ヴェネツィア水の都ヴェネツィアといえば、イタリアを代表する観光地の一つであり、海辺や運河の風景の美しい歴史ある街だよね。
上の画像はそんなヴェネツィアの朝の風景なんだ。でも、人々は好き好んでこのヴェネツィアに住み始めたわけじゃなかった。
西ローマ帝国末期の混乱とヴェネツィアかつて古代ローマ帝国は地中海世界を制覇したんだけど、やがて帝国は東西に分かれている。そして5世紀に入ると、西ローマ帝国は衰退の一途を辿っていく。西暦402年には西ゴート族がイタリアに侵入し、当時の首都ミラノが包囲され、皇帝ホノリウスは首都をラヴェンナに移している。更に西暦410年にはローマまでも西ゴート族の略奪を受けている。
そして西暦452年、あのアッティラに率いられたフン族がイタリアに侵入してきた。彼らは前年にガリア(フランス)に進出していたんだけど、西ローマ帝国と西ゴート族の連合軍に阻まれ、矛先を変えてイタリアに向かい、各地で略奪を行ったらしい。その結果、多くの難民が混乱を避け、今のヴェネツィア近辺のラグーンにある島々や湿地帯に移り住んだというわけだ。
水の上に築かれた街 ヴェネツィアとはいえ、ラグーンの湿地帯や島々の上に街を築くのは大変なことだった。大量の丸太を運び込み、その丸太を湿地帯や浅瀬に打ち込み、ようやくその上に建物を建てることが出来たんだそうな。
そして西暦697年、ビザンティン帝国がヴェネツィアを治める総督(ドージェ)を任命した。更に西暦727年、ヴェネツィアの人々は自らのドージェを選出している。ビザンティン帝国から自立し始めたわけだね。
そんな歴史のあるヴェネツィア周辺のラグーンには、200近い島々があり、百数十もの運河が人々の暮らしを支え、400以上もの橋が架けられているんだそうな。
ヴェネツィアの洪水でも、水の都ヴェネツィアは必ずしも住みごごちの良い場所とは言えないみたい。移動や輸送の手段は限られている。ヴェネツィア本島内では車や自転車は使えないんだ。観光客に人気のゴンドラや水上タクシーが必要とされるわけだ。また、夏には海水の臭いがきついこともある。しかも、時には洪水に襲われることもあるんだ。
上の画像はサン・マルコ寺院の前の様子なんだけど、しばし押し寄せる海水の為に人々は渡り板の上を歩くことを余儀なくされているんだ。東南の風(シロッコ)が吹き、低気圧が接近した状態に加えて大潮の時期が重なれば、潮位が高くなって洪水となってしまうらしい。
ヴェネツィアで進むモーゼ計画西暦2012年11月にもヴェネツィアは洪水に襲われ、街の中心部の3分の2で浸水したそうな。そんなこともあり、ヴェネツィアの可動式の防水壁で囲んで洪水を防ごうというモーゼ計画が進められているらしい。防水壁は西暦2014年に完成する ・・・ はずだった。が、未だに防水壁が完成したというニュースを目にしてはいないね。
All rights reserved 管理・運営 あちこち三昧株式会社 このサイトの画像 及び 文章などの複写・転用はご遠慮ください。 |