ヨーロッパの歴史風景 先史・古代編




西暦432年、聖パトリックがアイルランドに渡り、キリスト教の布教を行った。


アイルランドの守護聖人ともなっている聖パトリック

3月17日にはアイルランド、そしてアイルランドからの移民の多い国々(アメリカやオーストラリアなど)ではにぎやかなお祝いが繰り広げられる。それが聖パトリックの日(彼が亡くなったとされる日)なんだ。(下の画像はアイルランドの首都ダブリン聖パトリック大聖堂にある彼の像。)

アイルランドでキリスト教の布教を行い、守護聖人となった聖パトリックの像(ダブリンの聖パトリック大聖堂にある

その聖パトリックなんだけど、ローマの教皇の命により、西暦432年にアイルランドに渡り、その地でキリスト教の布教を行い、多くの人々を改宗させたとされている。といっても、彼より先にアイルランドにキリスト教を伝えた人物もいたみたいだし、彼が布教を始めた年についても諸説あるみたいだけどね。いずれにせよ、彼はかの国の守護聖人となっている。

奴隷とされた聖パトリック

聖パトリックはおそらくは4世紀の終わり頃に生まれたと考えられている。生まれた場所は、古代ローマ帝国の支配下にあったイギリスのどこか ・・・ らしい。生まれた年についても場所についても定かではない。場所はイングランド北東部、スコットランド、あるいはウェールズとも言われている。(下の画像はウェールズ北部スノードンの山々の風景。)

イギリスのウェールズ北部スノードンの山々の風景

ところが、聖パトリックは16歳の時に海賊たちに拉致され、アイルランドに連れて行かれ、その地で奴隷としてヒツジたちの世話をさせられたらしい。ところが、彼は啓示を聞いた。その啓示の通りに、彼は家族の下に戻ることができたんだそうな。拉致されてから6年もの歳月が流れていた。

奴隷として働かされていた日々、彼はキリスト教に深く帰依するようになっていた。家族の下に戻ってからも、彼はキリスト教の教えを深く学び続けたんだそうな。

再びアイルランドに渡った聖パトリック

更に聖パトリックはヨーロッパ大陸に渡り、修道院などでキリスト教の知識を深めていった。やがて彼は伝道者に任じられ、西暦432年に再びアイルランドに渡ったとされている。

昔のアイルランドの中心とされたタラの丘にある立石

かつて奴隷として働かされていた国に戻った聖パトリックは、キリスト教の布教を行った。一説によれば、ケルト系の上王の即位が行われたというタラの丘で彼は布教を始めたとか。正直なところ、その話については私は半信半疑なんだけどね。

もう一つ。アイルランドでキリスト教を広める為に、聖パトリックはケルト十字(アイルランド十字とも呼ばれる)を作り出したとの伝説もある。が、ケルト十字はキリスト教よりも古い歴史を持つとの説もあるんだ。

また聖パトリックは聖ベナンと呼ばれる弟子を残したそうな。聖ベナンはアイルランドの西に浮かぶアラン島に渡り、小さな修道院を建てて隠れ住んだ。その跡に建てられた聖ベナン教会の小さな建物が今もアラン島に残っている。

聖パトリックゆかりのシャムロック

彼の教えにより、多くの人々がキリスト教に改宗したとされている。故に彼はアイルランドの守護聖人とされ、彼が亡くなった日が盛大にお祝いされるんだろうね。

アイルランドの国営航空会社エア・リンガスの飛行機の垂直尾翼に描かれたシャムロックは聖パトリックゆかり

ちなみに、彼は三位一体という教えについて、シャムロックのようなものと説いたらしい。シャムロックとは、三つ葉のクローバーのような植物を意味するらしい。それが今のアイルランドの国章でもあり、国営航空会社エア・リンガスの飛行機の垂直尾翼に描かれている意匠(上の画像)の元になったというわけだね。

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