ヨーロッパの歴史風景 先史・古代編




西暦106年、古代ローマ帝国皇帝トラヤヌスが、ダキア(現在のルーマニア)を征服した。


古代ローマ帝国のトラヤヌス帝によるダキア征服

紀元前1000年頃、ダキア(現在のルーマニア)地方にはトラキア系ダキア人が住んでいた。その後、紀元前4世紀頃には、ケルト人がダキアまで進出してきた。

紀元前70年には、部族連合の首長ブレビスタが古代ダキアを統一し、現在のイタリアの首都ローマから発して勢力を拡大してきた古代ローマ帝国に抵抗を続けた。

ルーマニアと東欧略図 西暦101年、古代ローマ帝国の皇帝トラヤヌスが、古代ダキア征服のための戦争(ダキア戦争)を始めた。

西暦106年、ダキアの王デケバルス(デチェバル)が自殺し、トラヤヌス帝支配下の古代ローマ帝国がダキアを征服した。以後、多くのローマ市民がダキア地方に移住し、ダキアのローマ化が進んだ。

西暦271年、東ゴート族とサルマティア族のダキアへの侵攻が激しくなり、それに耐えかねた古代ローマ帝国の軍団がダキアから撤退した。その後、ダキアの地には西ゴート族、フン族、ブルガル族、アヴァール族、マジャール人など様々な民族が侵入したんだ。

ルーマニア人は古代ローマ人の末裔 ??

カルパチア山中の村シビエルに住むラモラ一家(ルーマニア) 上に書いたように、古代ダキア(現在のルーマニア)は様々な民族の通路となったんだ。でも、多くのルーマニアの人々は、自分たちが古代ローマ人の末裔だと信じている。

但し、ルーマニアの周囲に住む人々が考えるところでは、ルーマニア人は中世以後に成立した民族だとされているんだけどね。(右の画像は、カルパチア山中の村シビエルに住む少女ラモラと祖母・母。)

ルーマニア語とラテン系諸語はちょっと似ている

トランシルヴァニアの街ブラショフで見たルーマニアの民族舞踏のダンサーたち ルーマニア人の血の中には古代ローマ人のものも受け継がれているだろうけど、他にも様々な民族の血も入っていると考えるのが穏当なところなんだろうな。でも、ルーマニア語にはラテン系諸語と似た面があることも確かなんだ。

例えば、数字の「 1、2、3」。ルーマニア語では、「ウノ、ドイ、トゥレイ」という。スペイン語では「ウノ、ドス、トゥレス」だよね。わざわざは書かないけど、他のラテン系諸語の数詞も似ているよね。(右の画像はルーマニアの民族舞踏のダンサー。)

でもね、これだけでは、やはりルーマニア人が古代ローマ人の末裔なのかどうか、判断は出来ないんだ。だって、例えば日本語の「イチ、ニ、サン、シ」なんだけど、中国語の「イー、リャン、サン、スー」と似てなくもないでしょ。だからといって、日本人は中国人の子孫だとは言わないだろうしね。

次のページ



姉妹サイト ヨーロッパ三昧

ヨーロッパ三昧

このサイト「ヨーロッパの歴史風景」の本館が「ヨーロッパ三昧」です。イギリス・フランス・イタリア・スペイン・ギリシャ・トルコ・エジプト・ロシア・アゼルバイジャンなど25国45編の旅行記を掲載しています。こちらも遊びに行ってみてくださいね。

「ヨーロッパ三昧」のトップ・ページのURLは、 http://www.europe-z.com/ です。

Copyright (c) 2002-2011 Tadaaki Kikuyama
All rights reserved
管理・運営 あちこち三昧株式会社
このサイトの画像 及び 文章などの複写・転用はご遠慮ください。