ヨーロッパの歴史風景 先史・古代編




西暦98年、古代ローマ帝国に最大の版図をもたらした皇帝トラヤヌスが即位した。


古代ローマ帝国に最大の版図をもたらした皇帝トラヤヌス

西暦98年、古代ローマ帝国の領土を拡大し、その最大の版図をもたらした皇帝トラヤヌスが即位している。彼は二度にわたってダキア(今のルーマニア)に遠征し、西暦106年にはダキアを属州としている。更には、アルメニア、メソポタミア、アッシリアなども古代ローマ帝国の属州としている。

イタリアの首都ローマのフォロ・ロマーノにあるトラヤヌスのフォロと記念柱

五賢帝の一人とされる皇帝トラヤヌスの記念柱が上の画像の左に見えている白い円柱なんだ。西暦113年に完成している。イタリアの首都ローマフォロ・ロマーノにあるトラヤヌスのフォロに立っているんだ。記念柱の上にはもちろん彼の像が立てられていた。但し、16世紀後半に聖ペテロの像に換えられちゃったけど。

スペイン南部アンダルシア地方の植民都市で生まれたトラヤヌス

トラヤヌスは西暦53年に今のスペイン南部アンダルシア地方で生まれている。古代ローマ帝国の兵士たちが移民して築いた植民都市イタリアで生まれたんだそうな。但し、彼の父親はれっきとした貴族だった。

スペイン南部アンダルシア地方の古都コルドバからグラナダへ向かう途中の丘の上の街の風景

上の画像は今のスペイン南部アンダルシア地方の古都コルドバからアルハンブラ宮殿で名高いグラナダへ向かう途中にある丘の上の街の風景なんだ。トラヤヌスが生まれた頃のこのあたりの属州の中心はコルドバだったそうな。

古代ローマ帝国の軍人として出世したトラヤヌス

やがて成人したトラヤヌスは、古代ローマ帝国の軍人としてシリア、スペインなどに派遣され、次第に出世していった。やがて上ゲルマニアの属州総督が反乱を起こし、トラヤヌスはその鎮圧にも活躍したらしい。

フランス東部アルザス地方の街ストラスブールにあるプチ・フランスの風景

そして西暦96年、トラヤヌスは上ゲルマニアの属州総督となっている。ちなみに、当時の上ゲルマニアの属州は、ドイツ南西部、スイス西部からフランス東部アルザス地方にかけての地域だった。上の画像はアルザス地方の街ストラスブールにあるプチ・フランスの風景なんだ。

古代ローマ帝国の皇帝として即位したトラヤヌス

そして西暦97年、実子のいなかった皇帝ネルヴァが後継者としてトラヤヌスを指名した。兵士たちに人気のあるトラヤヌスを後継者とすることを求める軍の圧力に屈したという話もあるけどね。

西暦98年、皇帝ネルヴァが亡くなった。というわけで、古代ローマ帝国の皇帝トラヤヌスが即位したわけだ。皇帝となったトラヤヌスはダキアなどを征服し、帝国に最大の版図をもたらしたというわけだ。

でも、彼はローマの市民の支持を得ることを意識し、内政にも配慮を行っている。例えば、ローマ市民に無料の小麦を配給する施設や多くの店が営業していたトラヤヌスの市場(下の画像)などを残している。更には港や道路を整備し、産業の育成にも気を配っていたらしい。ラヴェンナの街には全長70kmにも達する水道を建設している。

イタリアの首都ローマのフォロ・ロマーノのトラヤヌスのフォロの近くにあるトラヤヌスの市場

またローマ市民が大好きだった剣闘士たちの戦いのイベントをローマのコロッセオ(円形闘技場)で開催したそうな。でも、そんなイベントで1万人以上もの人々が命を落としたとか。五賢帝の一人とされるトラヤヌスなんだけど、そんな犠牲の上に民心をつなぎとめていたんだね。

他方で皇帝トラヤヌスはキリスト教徒の迫害も行ったらしい。皇帝ネロほどではなかったにしてもね。上にも書いたけど、トラヤヌスの記念柱の上の彼の像が聖ペテロの像に置き換えられたのは、そんな迫害の因果応報ではないだろうけどね。

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