フランス(ガリア)とワイン、古代ギリシャ人元々ガリア(今のフランス)に住んでいた古代ケルト人たちはワインを飲んでいたわけじゃなかった。むしろビールを好んでいたんだそうな。ところが紀元前600年頃、今のフランス南部プロヴァンス地方の港町マルセイユに古代ギリシャ人たちが定住した。古代ギリシャ人たちはワインをガリアに持ち込み、やがてマルセイユ付近でワインの生産も始めたらしい。それがフランスでのワイン生産の始まりだった。
ちなみに、上の画像はマルセイユ近くのバンドールのロゼ・ワイン。これをきりっと冷やし、マルセイユの魚介類たっぷりのブイヤベースを食べながら飲むととっても美味いんだ。
フランス(ガリア)のワイン生産と古代ローマ帝国そして紀元前122年、古代ローマ帝国がマルセイユ近くにエクサン・プロヴァンス(エクス)の街を築いた。ここから古代ローマ帝国のガリア進出が本格化する。古代ローマ帝国は、ローヌ川を遡り、ガリア(フランス)内陸部にも進出する。今のフランス第2の都市リヨン(当時はルグドゥヌム)の街を築いたのが紀元前43年のことだった。 古代ローマ帝国はリヨンからソーヌ川を遡って更に北上し、今のブルゴーニュ地方にも進出した。中世ブルゴーニュ公国ゆかりの古都ディジョンも、古代ローマ帝国が築いた城砦から生まれたらしい。 ついでながら、古代ローマ帝国の城砦が今の街の起源になっている例は多いよね。例えば、イギリスのチェスターやヨークなど。ロンドンやパリはちょいと違っているみたいだけどね。
そうやって北上する古代ローマ帝国と共にワイン生産やブドウ畑も北上していったんだ。例えば、フランスを代表するワインの産地ブルゴーニュのジュヴレ・シャンベルタン村では、紀元前1世紀にはワイン用のブドウ畑があったらしい。(上の画像はジュヴレ・シャンベルタン村の別格グラン・クリュのワインを生み出すシャンベルタン・クロ・ド・ベーズのブドウ畑で収獲されたブドウの様子。)
ガリア(フランス)で急増したブドウ畑とワイン生産そんなわけでフランス内陸部を北上したワイン用のブドウ畑。古代ローマ帝国の兵士たちの中には、ガリアで土地をもらい、入植者として開拓を行い、ブドウ畑を広げてワインを生産する人々も少なくなかった。(下の画像はブルゴーニュ地方の古都ディジョンのバルゼの像。ブドウを踏み潰してワインを作っている。)
他方、元々ガリア(フランス)に住んでいた古代ケルト人たちはビールを飲んでいたんだけど、そのビールは木の樽に入れられていた。そんなわけで、ガリア(フランス)で生産されたワインも木の樽に入れられるようになったんだ。当時のガリア(フランス)は森に覆われていたから、木の樽は手軽に手に入る容器だった。
ガリア(フランス)でのワイン用ブドウ畑の栽培を半減せよそんなこんなでガリア(フランス)におけるワイン生産とブドウ畑は増える一方だった。おかげで古代ローマ帝国のお膝元のイタリアでのワイン生産が圧迫されたんだそうな。しかも、ガリア(フランス)では、ワイン用ブドウ畑ばかり広がったもんだから、飢饉の際には穀物が不足することもあったらしい。「パンが無ければ、ワインを飲めばいい」とは言えないよね。そんなわけで、西暦91年に古代ローマ帝国の皇帝ドミティアヌスは、ガリア(フランス)でのワイン用のブドウ畑での栽培を半減せよと命じたんだそうな。もちろん、そんな命令にはガリア(フランス)の人々は従わなかった。
そんなわけで、今もフランス各地で広い広いブドウ畑を見ることができるわけだ。(上の画像はブルゴーニュのワイン村ジュヴレ・シャンベルタンのブドウ畑の眺め。)
フランスのブドウ畑が世界文化遺産にところで、西暦2015年7月のことなんだけど、フランスのブドウ畑が世界文化遺産に登録されることが決まったらしい。といっても、フランスにある全てのブドウ畑がそうなるわけじゃない。ブルゴーニュ地方とシャンパーニュ地方の歴史あるブドウ畑が対象なんだそうな。ブルゴーニュ地方では、コート・ド・ニュイとコート・ド・ボーヌにあるブドウ畑が対象となっている。もちろん、上の画像にあるジュヴレ・シャンベルタンのブドウ畑も含まれているね。
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