古代ローマ帝国時代に築かれたコロッセオ(円形闘技場)日本の弥生時代に後楽園の東京ドームが出現したら、人々の驚きはとんでもないことになるんだろうね。でも、イタリアの首都ローマのフォロ・ロマーノに残るコロッセオ(円形闘技場)の建設は、それに近いものと言えるかもしれないね。
上の画像は、ローマのヴェネツィア広場からフォロ・ロマーノに向かうフォーリ・インペリアーリ通りから眺めたコロッセオ(円形闘技場)の様子なんだけど、その建設が始まったのが西暦75年のこと。つまり日本の弥生時代のことだった。
コロッセオ(円形闘技場)と東京ドーム下の画像がローマのコロッセオ(円形闘技場)の外観なんだけど、実は大きさなどは東京ドームにかなり近いみたい。
収容人員はどちらも4万5千人ほどでほぼ同じなんだ。コロッセオ(円形闘技場)の長径は188メートルなんだけど、東京ドームのホームベースからセンターのフェンスまでの距離が122メートルというから、東京ドームの観客席までの大きさを考慮すればたぶんそれほど大きな違いはないよね。
コロッセオ(円形闘技場)で開催されたビッグ・イベントローマのコロッセオ(円形闘技場)が最初に使用されたのは、西暦80年のこと。古代ローマ帝国皇帝ティトゥス(フォロ・ロマーノにティトゥスの凱旋門を残した人物)は、コロッセオ(円形闘技場)のお披露目イベントを数ヶ月に渡って開催したんだそうな。そのイベントにおいて格別に人気があったのは、剣闘士による殺し合いだったみたいだね。
かつてはコロッセオ(円形闘技場)でキリスト教徒をライオンなどの猛獣に襲わせる見世物が行われたとも言われていた。でも、その確証は無いらしいよ。ちなみに、上の画像は今のコロッセオ(円形闘技場)の客席部分の様子なんだ。
古代ローマ帝国各地に円形闘技場古代ローマ帝国の各地に球団があったわけじゃないだろうけど、規模の大小はあってもあちこちに円形闘技場が残されているんだ。例えば下の画像はフランス南部プロヴァンス地方の街ニームの円形闘技場。
このニームの円形闘技場は、今では闘牛場などとして使われているらしい。ちなみに、この円形闘技場のあるニームの街は古代の水道橋ポン・デュ・ガールが水を供給していた街だね。
コロッセオ(円形闘技場)とキリスト教徒話をローマのコロッセオ(円形闘技場)に戻そう。皇帝コンスタンティヌスによって古代ローマ帝国におけるキリスト教の信仰が認められるまで、多くのキリスト教徒がここで命を落としたとも信じられている。故にキリスト教徒にとっての聖地とされ、その結果として破壊を免れたとも言われている。(でも、ここで多くのキリスト教徒が殉教したと立証されているわけではないという考えもあるらしい。)そして西暦2013年、新しいローマ教皇フランシスコは、イースターに先立つ聖金曜日のミサをこのローマのコロッセオ(円形闘技場)で執り行なったとか。歴史は完結せず、未来に向かって紡ぎ続けられている。
ちょいと傾いてしまったコロッセオ(円形闘技場)イタリアで傾いているといえばピサの斜塔だよね。でも、西暦2012年夏に聞いたニュースによれば、このローマのコロッセオ(円形闘技場)も傾いているんだそうな。南北を比較して南側が40センチほど沈んでいるとか。しかも、内部に亀裂が生じているという説もある。そんなコロッセオ(円形闘技場)の修復がどうなるか、まだ検討中らしい。そんなコロッセオ(円形闘技場)の前の大通りは、西暦2013年8月から自家用車の通行が禁止されたそうな。車の排気ガスによる遺跡の劣化を防ぎ、観光客が心地良く見て歩けるようにする為の措置らしい。うん、良い措置なんじゃないかな。 ところが、その大通りの通行を禁じられた自家用車の群れが近くの商店街に流れ込んだ。その結果、その商店街の道では大渋滞となり、商店の売上も落ちてしまった。商店街の人々は抗議活動を行っているとか。世界中の人々を集める古代遺跡の取扱って難しいんだね。
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