大帝とも呼ばれたロシアの女帝エカテリーナ2世ロシアのピョートルといえば、サンクト・ペテルブルグを建設した大帝(1世)だと思うよね。ところが、このページに登場するロシア皇帝ピョートル3世は、歴代のロシア皇帝の中でもトップ・クラスのボンクラ皇帝なんだ。資料によれば、教養が無くて幼稚、しかも当時のロシアが戦争をしていた敵国プロシアの王フリードリヒ2世(大王)の大ファン。更に悪いことに、ルター派の皇帝はロシア正教が大嫌い。こうなっちゃ人気が無いのも無理はないよね。 ところが、このボンクラ皇帝ピョートル3世の奥さんがすごい。その名もエカテリーナ。ドイツ生まれなんだけど、ロシア正教の教えを守り、ロシア語やロシアの歴史の勉強にも熱心だった。そうなりゃロシアでは人気も出るわな。 そのエカテリーナ夫人、西暦1762年7月10日には2万人の軍を率いてクーデターを起こしちゃった。 しかも、夫であるピョートル3世を廃位し、自らロシア皇帝に即位したんだ。後に大帝とも称されるロシアの女帝エカテリーナ2世の誕生だ。 右の画像は、ロシアの古都サンクト・ペテルブルグのアレクサンドリスカヤ公園に立つ女帝エカテリーナ2世の像。写りが悪くて申し訳ないけど。 他方、廃位させられた元ロシア皇帝ピョートル3世なんだけど、エカテリーナ女帝の側近となっていた青年将校アレクセイ・オルローフによって殺されちゃった。クーデターから10日後のことだそうな。 エカテリーナ大帝(2世)のロシア統治ある意味じゃ夫を食い殺したカマキリ夫人のような女帝エカテリーナ2世なんだけど、後に大帝とも称されるくらいだから、評判は悪くない。ヴォルテールやモンテスキューなどにせっせと手紙を書いて文通したおかげで、「啓蒙専制君主」とされているんだ。他方で、西暦1772年には、プロシアやオーストリアと手を組んで、第一回ポーランド分割に参加している。どうにも人間としては不気味な類に入るね。でも、一国の君主としては有能だったことは間違いないんだろうね。 西暦1773年には、ピョートル3世を自称するプガチョフによって反乱が起こった。しかし、翌年1月には反乱を鎮圧し、プガチョフを処刑している。 西暦1787年にはオスマン・トルコと戦争を始めた。但し、この戦争では見るべき成果を得られず、西暦1792年に講和している。 西暦1793年には、ロシア軍を派遣して圧力をかけた上で、ポーランドの第二回分割を行った。更に、西暦1795年には第三回ポーランド分割。これで歴史あるポーランド王国は、地上から姿を消してしまったんだ。 そして西暦1796年11月17日、エカテリーナ2世(大帝)が亡くなった。 ツァールスコエ・セローのエカテリーナ宮殿(ロシア)ロシアの古都サンクト・ペテルブルグの近郊に、ツァールスコエ・セローと呼ばれる土地がある。その意味するところは「皇帝の村」。18世紀初頭のピョートル大帝の時代から、ロシア皇帝の離宮が営まれた土地なんだ。その皇帝の村を代表する建物がエカテリーナ宮殿(上の画像)。あのエカテリーナ2世(大帝)が建てさせた宮殿なんだけど、森の奥にある青と白と金の宮殿は青空の下に美しいんだ。帝政ロシアを代表する宮殿の一つだよね。
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