ヨーロッパの歴史風景 近世編




西暦1709年、ドイツ東部でマイセン磁器の生産方法が確立された。


ドレスデンにある君主の行列

旧東ドイツにある古都ドレスデンのツヴィンガー宮殿の厩舎中庭の外壁には、「君主の行列」と呼ばれる名物がある。それが下の画像なんだ。

ドレスデンにある君主の行列(ドイツ)

この「君主の行列」なんだけど、名高いマイセン磁器のタイルを2万3千枚も使って、多くの君主たちの行列を描いたもの。描かれている君主たちは、ドイツの名家であるヴェッティン家の出身のマイセン辺境伯、ザクセン選帝侯、ザクセン公、ザクセン王たちなんだそうな。

名高いマイセン磁器

そんな「君主の行列」に描かれているマイセン磁器なんだけど、その制作の様子が下の画像。ドレスデンから 25km ほどのところにあるマイセンの磁器の博物館で撮影したものなんだ。

マイセン磁器の生産の様子(ドイツ)

かつてヨーロッパでは磁器、特に白磁の生産方法は知られていなかった。というわけで、中国や日本で生産された磁器が貴重品として取引されていた。とりわけ白磁は白い金と呼ばれていたんだそうな。特に17世紀後半には清朝が鎖国政策を採った為に中国産の磁器の入手が極めて困難になったらしい。

そんな磁器の生産方法を研究させたのが、西暦1694年にザクセン選帝侯となったフリードリヒ・アウグスト1世(後にアウグスト2世としてポーランド王ともなっている人物)だった。

その結果、西暦1709年に白磁の生産に成功し、直ちに磁器工場を立ち上げた。その工場は西暦1710年にはマイセンに移され、以後はマイセン磁器としてヨーロッパの人々の憧れの品を生産し続けているわけだ。

城に幽閉された錬金術師

ザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト1世の命によって白磁の生産方法を発見した人物が錬金術師のヨハン・フリードリヒ・ベトガーだった。名高いマイセン磁器の生産の功労者だよね。

マイセンにあるアルブレヒト城(ドイツ)

ところが、そんな功労者に対してザクセン選帝侯は無慈悲な仕打ちをする。ベトガーはマイセンにあるアルブレヒト城(上の画像)に幽閉されてしまった。というのも、選帝侯は高価な貴重品であるマイセン磁器の生産方法の秘密を守りたかったんだね。

ちなみに、このアルブレヒト城はザクセン選帝侯を排出したヴェッティン家にゆかりの城でもあった。かつてのヴェッティン家の居城がこのアルブレヒト城だった。但し、西暦1464年にヴェッティン家は首都をドレスデンに移したんだけどね。

マイセン磁器の商標はクロスした2本の剣

マイセン磁器の生産方法を確立した功労者を幽閉してまでその秘密を守ろうとしたんだけど、生産開始から数年のうちにウィーンなどヨーロッパ各地で磁器の生産が始まっている。

というわけで、競争相手との差別化の為にマイセン磁器は西暦1722年から独自の商標を使い始めたんだ。それがクロスした2本の青い剣だった。その元となったのはヴェッティン家の紋章だったらしい。但し、その商標のデザインは時代によって少しづつ変化している。そんな商標の歴史を示しているのが下の画像なんだ。

マイセン磁器の商標(ドイツ)

そんなマイセン磁器は今でも憧れの品だよね。とはいえ、その歴史においては何度も危機に瀕している。例えば、七年戦争さなかの西暦1756年にはプロイセン王国のフリードリヒ2世(大王)がマイセンを占領し、磁器生産の職人たちをベルリンに連れ帰り、その地で磁器の生産を始めている。

第二次世界大戦後には賠償の為にドイツの生産設備などがソ連に持ち去られた。マイセン磁器の生産設備もソ連に送られたらしい。その後、マイセンでの磁器生産が再開されたんだけど、磁器を生産する会社はソ連の支配下に置かれ、その製品の多くがソ連に送られたんだそうな。その会社の所有権が東ドイツに返還されたのは西暦1950年のことだった。そして今、マイセン磁器を生産する会社はザクセン州が所有しているそうな。

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