ローテンブルクの街を救った市長ドイツのロマンティック街道にあるローテンブルクは、中世の宝石とも呼ばれる街なんだ。中世の面影を残していることで、多くの観光客を魅了する街ということだね。そんなローテンブルクの街の市参事会宴会場の外壁の様子が下の画像。時計の左右に窓があるのが見えるかな。1日に7回、その窓が開いて仕掛け人形が動き出す。大きなジョッキに入ったワインを一気飲みする人形だ。といっても、この街の参事会員たちが宴会場で飲んでばかりいたことを示しているわけじゃない。戦乱のドイツにおいて、西暦1631年にワインの一気飲みによって街を救った市長の人形なんだそうな。
西暦1618年、ドイツを舞台に三十年戦争が始まった。その戦乱が続く西暦1631年、プロテスタントを支持するローテンブルクの街が、カトリック軍によって攻略された。カトリック軍の指揮官ティリー伯は街を略奪すると通告。しかし、大きなジョッキに注がれた3リットル以上ものワインを誰かが一気飲みすれば略奪をやめると言ったらしい。その言葉を受け、ワインを一気に飲み干したのが市長だった。
城砦から発展したローテンブルクローテンブルクの街はタウバー川のほとりの小高い丘の上にある。その丘の上に地元の貴族が10世紀の後半に城を築いた。やがて12世紀初頭に城はホーエンシュタウフェン家のローマ王コンラート3世の城となり、ローテンブルクには王の宮廷が置かれたそうな。(コンラート3世は実質的には神聖ローマ帝国の皇帝だったらしいけど、戴冠による正式な皇帝とはならなかったそうな。)
コンラート3世の城は西暦1356年の大地震で崩壊してしまった。その跡地が上の画像なんだけど、今ではブルク公園となっている。城の建物などはなく、ただブラジウス礼拝堂のみが残っている。
城壁に囲まれたローテンブルク西暦1170年にはローテンブルクが市となった。市場や教会を中心として成長していったらしい。そんなローテンブルクの周囲を取り巻く城壁の建設が始まったのは13世紀になってからとされている。城壁の建設はその後も続くんだけど、やがて地震によって崩壊したローマ王コンラート3世の城の石材も流用されたそうな。故に城の建物の遺構も残ってないんだろうね。
ちなみに上の画像は城壁の内側の武者走りの様子。武者走りを歩きながら、中世の面影を残す街並みを眺めることも出来るんだ。
自由都市ローテンブルクの盛衰その後のローテンブルクにはいくつもの市場が誕生し、街は更に発展した。西暦1311年には聖ヤコブ教会の建設も始まっている。(ちなみに、この教会には後に中世ドイツを代表する彫刻家リーメンシュタインによる聖血祭壇が設けられることになる。)
14世紀半ばにはローテンブルクは帝国自由都市となっていた。ドイツ騎士団によって始められた聖ヤコブ教会の建設を完成させたのは市であり、市庁舎の建設も始められた。(上の画像は現在の市庁舎の様子。)
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