リーメンシュナイダーの聖血祭壇観光の為にドイツを訪れる日本人に人気が高いのはロマンティック街道かな。その中でも中世の宝石とも呼ばれるローテンブルクは見て歩くのに最適の街だよね。
そんなローテンブルクの街の聖ヤコブ教会の中で見逃せないのが、中世ドイツを代表する彫刻家リーメンシュナイダーによる聖血祭壇だよね。上の画像はその聖血祭壇の中の最後の晩餐を描いた部分なんだ。
ローテンブルクの聖ヤコブ教会ドイツのロマンティック街道の中でも人気の高いローテンブルクは、人口1万人あまりの小さな街。でも、その歴史は古い。10世紀後半に丘の上に築かれた城が街の起源なんだそうな。その後、12世紀にはローテンブルク市となり、13世紀には帝国都市となって更に発展したそうな。
そんなローテンブルク市の中心にドイツ騎士団が西暦1311年に建設を始めたのが、上の画像にある聖ヤコブ教会だった。ドイツ騎士団は十字軍として聖地に赴いた際に手に入れた聖遺物である聖血が安置された。その聖血が多くの巡礼をこの地に呼び寄せたんだそうな。
聖ヤコブ教会の15世紀の彫刻西暦1398年には聖ヤコブ教会の建設をドイツ騎士団からローテンブルク市が引き継いだ。最終的に教会が完成したのは西暦1485年(1490年とする資料もある)のこととされている。
そんな聖ヤコブ教会の主祭壇の様子が上の画像なんだけど、その下のほうに見えているのが西暦1466年に制作された十二使徒祭壇なんだそうな。14世紀に帝国自由都市となったローテンブルクの街は、その後も発展を続けていたから、教会の装飾などに資金を出す財政的な余裕もあったんだろうね。
中世ドイツを代表する彫刻家リーメンシュナイダー繁栄するローテンブルクは、聖ヤコブ教会の為の新たな彫刻を発注した。その相手が中世ドイツを代表する彫刻家リーメンシュナイダーだった。その結果、西暦1504年に完成したのが教会の誇る聖遺物にちなんだ聖血祭壇だった。下の画像はその全体像なんだ。逆光で見難いんだけど。
彫刻家リーメンシュナイダーは更なる名声を得て、西暦1520年には工房のあるヴュルツブルク市の市長にまでなっている。しかし、その後に起こったドイツ農民戦争に巻き込まれ、西暦1525年に捕われて拷問を受けたリーメンシュナイダーは両手を傷つけられ、制作をすることができなくなったらしい。彼は西暦1531年に亡くなっている。4人目の奥さんに看取られていたらしいけどね。
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