ヨーロッパの歴史風景 近世編




西暦1630年、ペスト(黒死病)の沈静化を感謝して、イタリアの水の都ヴェネツィアにおいてサンタ・マリア・デラ・サルーテ教会の建設が決定された。


水の都ヴェネツィアのサンタ・マリア・デラ・サルーテ教会

ヨーロッパでペスト(黒死病)と言えば、14世紀半ばに多くの人々の命を奪った大流行が頭に浮かぶよね。でも、ヨーロッパではその後も何度かペスト(黒死病)が流行している。

例えばイタリアの水の都ヴェネツィアにおいては、西暦1576年から翌年にかけてペスト(黒死病)が流行し、5万人もの人々が亡くなっている。その頃のヴェネツィアの人口は17万人ほどだったというから、3割もの人々の命が失われたということだね。

そして西暦1629年から翌年にかけて再びヴェネツィアでペスト(黒死病)が流行し、5万人もの人々の命を奪っていった。(この流行は、ヴェネツィアのみならず、ミラノなどイタリア各地で猛威をふるったらしい。)

イタリアの水の都ヴェネツィアのサンタ・マリア・デラ・サルーテ教会

そして西暦1630年、ペスト流行の終息を感謝するヴェネツィアの人々によって、サンタ・マリア・デラ・サルーテ教会の建設が決定されたんだ。半世紀後の西暦1681年に完成したサンタ・マリア・デラ・サルーテ教会の様子が上の画像なんだ。(ずらっと並んだゴンドラの向こうに見えるドームのある白い建物だね。)

セビリアやナポリを襲ったペスト(黒死病)

ところが、その後もヨーロッパはペストに襲われている。西暦1649年にはスペイン南部アンダルシア地方の街セビリアで大流行している。(下の画像はセビリアで12世紀にイスラム教徒によって建てられたヒラルダの塔。)

スペイン南部アンダルシア地方の街セビリアにあるヒラルダの塔

そして西暦1656年にはイタリア南部の中心都市ナポリにおいて、15万人もの人々が亡くなっている。西暦1675年にはマルタ島でも多くの人々がペストで亡くなっているんだ。

ウィーンのペスト記念塔

更には、ハプスブルク家の都ウィーンまでもがペスト(黒死病)の大流行に襲われたのが西暦1679年のことだった。

オーストリアの首都ウィーンのグラーベル通りにあるペスト記念塔

上の画像はウィーンのグラーベル通りにあるペスト記念塔なんだけど、当時の皇帝レオポルト1世が建立したものなんだそうな。(グラーベルとは「堀」のこと。かつてウィーンを取り囲む堀があった場所なんだそうな。)

フランス南部マルセイユ、 ・・・ そして

西暦1720年にはフランス南部プロヴァンス地方港町マルセイユでペスト(黒死病)が流行している。かつて14世紀半ばにはマルセイユに上陸したペストがヨーロッパ大陸各地に広がっていったんだけど、そのマルセイユをまたペストが襲ったわけだね。(下の画像はマルセイユの風景。)

フランス南部プロヴァンス地方の港町マルセイユ

ヨーロッパでのペスト(黒死病)の大規模な流行は、このマルセイユが最後となったらしい。とはいえ、これでペストが消えていったわけじゃなかった。19世紀には中国やインドで大流行があったんだそうな。

もちろん、日本にもペストは到来している。西暦1896年には横浜で中国人がペストで亡くなっている。その3年後には西日本各地で数十人がペストで亡くなっている。日本国内においては西暦1930年にペストの最後の犠牲者が亡くなっている。

その後の日本ではペストの発生は無いとされている。でも、油断はできないみたい。地球上からペストが根絶されたわけではないらしいからね。去年は日本でもデング熱の感染があったよね。しかも、最近はエボラ熱などの脅威もある。昔のヨーロッパの人々のペストに対する不安は、私たちにとっても他人事ではないのかもしれないね。

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