ヨーロッパの歴史風景 近世編




西暦1580年、「エセー(随想録)」を書いたフランスのモンテーニュが、イタリアの首都ローマを旅した。


「エセー(随想録)」の著者 モンテーニュ(フランス)

西暦1533年、フランス西部の街ボルドー近くの裕福な貴族の家に男の子が生まれ、ミシェル・ド・モンテーニュと名づけられた。教育熱心なミシェルの両親は、息子にラテン語で教育を受けさせたんだけど、それは無駄にはならなかった。

フランス西部ボルドーのカンコンス広場にあるモンテーニュの像 やがてミシェル・ド・モンテーニュは大学で法律を勉強し、高等法院に勤務した。でも、西暦1571年に38歳で引退しちゃった。それで暮らしていけるんだから、本当にお金持ちだったんだね。

でも、さすがにモンテーニュは凡人じゃなかった。遊んで暮らしたわけじゃなかったんだ。彼はラテン語の知識を活かし、プルタルコスの「英雄列伝」、プラトン、ヘロドトスなどの古典を研究し、先人たちの思想を学んだ。

そして、人生のあり方について書いた「エセー(随想録)」の第1巻・第2巻を世に出したのが西暦1580年のこと。それも自費出版だったというから、やっぱりお金持ちだったんだね。(右の画像はボルドーのカンコンス広場にあるモンテーニュの像。)

イタリアのローマへ向かったモンテーニュ

「エセー(随想録)」の第1巻・第2巻を出版して満足したのか、あるいは疲れちゃったのか、モンテーニュは故郷を後に旅に出たんだ。西暦1572年にフランスの首都パリで起こったサン・バルテルミーの虐殺がフランス各地に広がり、激化した宗教戦争を避けたという説もあるけどね。

イタリアの首都ローマのフォロ・ロマーノにあるカエサルのフォロ

そして西暦1580年11月末にはイタリアのローマに到着している。古典を研究し続けてきたモンテーニュだから、古代ローマの遺跡などを見て歩いたんだろうね。(上の画像はイタリアのローマに残るフォロ・ロマーノにあるカエサルのフォロ。)

モンテーニュの時代のローマ

一時期は荒れ果てていたイタリアのローマなんだけど、モンテーニュが旅した頃には、現代も見ることの出来る建物なども出来上がっていた。例えば現在のヴァティカンのサン・ピエトロ大聖堂の建築工事が始まったのが、西暦1506年のこと。また、西暦1500年に完成していたミケランジェロのピエタ(下の画像)は見ただろうね。

イタリアの首都ローマのサン・ピエトロ大聖堂にあるミケランジェロのピエタ

但し、今のローマを特徴づけているバロックの時代はまだ来てはいなかった。当然ながら、バロック美術の旗手ベルニーニの作品もモンテーニュは見ていないんだ。例えば、サン・ピエトロ大聖堂前の広場(ベルニーニによるサン・ピエトロ広場)も、モンテーニュの頃にはなかったんだ。

ローマからフランスに帰国したモンテーニュ

憧れの都ローマに滞在を続けていたモンテーニュのもとへフランスから連絡が届いた。彼がボルドーの市長に選ばれたんだそうな。ローマ滞在を半年で切り上げたモンテーニュは、故郷に戻ってボルドー市長の職を4年間務めたんだそうな。

その後、再び悠々自適の暮らしに戻ったモンテーニュは、再び執筆活動に戻り、西暦1588年には「エセー(随想録)」第3巻を出版。そして、西暦1592年に亡くなっている。人生のあり方に関する「エセー(随想録)」を著したモンテーニュだったけど、思い通りの人生を送ったのかな。

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