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西暦 1918年、最後のオーストリア皇帝カール1世が国事を放棄し、ハプスブルク家の帝国が崩壊した。
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第一次世界大戦における敗北と ハプスブルク家の帝国の崩壊
第一次世界大戦中の西暦1916年、長きに渡ってハプスブルク家の帝国を支配してきた皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が亡くなり、その弟の孫に当たるカール1世がハプスブルク家のオーストリア・ハンガリー二重帝国皇帝の位を継承した。
その後、西暦1917年のロシア革命により、強敵ロシアが宣戦を離脱し、ドイツ・オーストリアを中心とする同盟国側は戦いを有利に進めることができるかと思われた。
ところが、西暦1918年にはアメリカが連合国側に立って参戦し、同盟国側は次第に劣勢に追い込まれていったんだ。まずは西暦1918年9月にブルガリアが休戦協定に調印。続いて10月には、ハプスブルク家の帝国からのチェコスロヴァキアとハンガリーが独立を宣言した。
そして西暦1918年11月3日、オーストリア・ハンガリー帝国は連合国との休戦協定に調印し、更に11月11日にはハプスブルク家最後の皇帝カール1世が国事への関与を放棄すると宣言し、ここにハプスブルク家の帝国が崩壊したわけだ。
やがてハプスブルク家最後の皇帝カール1世はオーストリアを離れ、首都ウィーンの王宮(上の画像)は主を失ったわけだ。(余談ながら、上の画像の中で王宮の前に立つ騎馬像は、フランスの貴公子でハプスブルク家の元帥となったオイゲン公。)
その後の最後の皇帝カール1世
西暦1919年3月24日、ハプスブルク帝国の最後の皇帝カール1世とその家族は、政治活動をしないことを条件としてスイスに亡命を許されたんだ。
ところが、西暦1921年3月にハプスブルク家の最後の皇帝カール1世(ハンガリー王としてはカーロイ4世)がハンガリーに姿を見せ、王位を要求した。ハンガリー国内にはハプスブルク家の王位復帰を求める勢力がいたらしい。
しかし、ハプスブルク家のハンガリー王位復帰には、チェコスロヴァキア・ルーマニア・ユーゴスラヴィア・米英仏ソなどの連合国がこぞって反対した。その結果、ハンガリー国内の親ハプスブルク家勢力も動きがとれず、前ハンガリー国王カーロイ4世(オーストリア皇帝カール1世)は4月にはハンガリー国外へと去っていった。
ところが、ハンガリー王位を諦めきれないカーロイ4世(カール1世)は、同じ年の10月に再びハンガリーでクーデターを起こした。しかし、再度失敗。こうしてハンガリーの首都ブダペストの王宮(下の画像)も、永遠に主を失ったわけだ。
最後のハプスブルク家の皇帝カール1世の死
その直後の西暦1921年11月6日、繰り返される最後の皇帝カール1世(カーロイ4世)による王位回復の企てに対抗するために、ハンガリー議会はハプスブルク家の廃位を正式に定める法律を可決することとなった。
一切の政治活動をしないという条件で亡命を認めていたスイス政府は、ハンガリー王位回復をたくらんだ元皇帝カール1世を国外に追放した。やむなくポルトガルのマディラ島に移った最後の皇帝カール1世は、そこで西暦1922年4月1日に亡くなったんだ。
世界中から観光客が集まる ウィーンのシェーンブルン宮殿
その後、第二次世界大戦において再び戦火に巻き込まれたオーストリア。でも、平和が回復した後、ハプスブルク家の面影を残すシェーンブルン宮殿(下の画像)には、世界中から観光客が集まっているんだ。
その後のハプスブルク家
最後のハプスブルク家の皇帝カール1世が亡くなり、歴史の世界に入ってしまったかと思われるハプスブルク家。でもね、その後もヨーロッパにはハプスブルク家の影響力を怖れる人々が残っているんだ。
例えば第二次世界大戦の戦後処理のために、オーストリアと米英仏ソなどの連合国との間に西暦1955年に結ばれた条約の中には、ハプスブルク家の復活を禁じる条項が含まれていた。
西暦1961年には、故国オーストリアへの帰国を求めるオットー・フォン・ルクセンブルク(最後の皇帝カール1世の息子)が、オーストリア共和国への忠誠を宣言している。でも、オーストリア政府は彼の帰国を拒否したんだ。ハプスブルク家の帝国の影は、まだヨーロッパに残っているんだろうね。
一つ興味深いニュース。共産主義政権が崩壊したルーマニアでは、ドラキュラゆかりのブラン城が元の所有者の子孫に変換されることになった。この子孫というのがアメリカの建築家なんだけど、かつてのルーマニア王家の子孫で、しかも姓がハプスブルクというんだそうな。嫡流以外にも、ハプスブルク家の子孫の方は各地にいるんだね。
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