ジヴェルニーに移り住んだフランス印象派の画家クロード・モネフランスの首都パリに生まれ、ノルマンディー地方で育ったクロード・モネ。画家を志したクロード・モネはやがてパリに出た。パリでは画家などの芸術家が集まっていたモンマルトルの丘にいたこともあるらしい。その後のクロード・モネは、イギリスの首都ロンドンやオランダ、フランスのあちこちに滞在した。そして西暦1883年、43歳のクロード・モネはフランス北部ノルマンディー地方にあるジヴェルニーのアトリエ(モネの家)に移り住んだんだ。
そのジヴェルニーのモネの家(上の画像)には、様々な花の咲く「花の庭」も作られたんだそうな。
睡蓮の池に日本橋を作った画家クロード・モネ画家クロード・モネは、ジヴェルニーの家に睡蓮の池を作った。日本に憧れていたクロード・モネは、その池に「ル・ポン・ジャポン(日本橋)」(下の画像)をかけたんだそうな。
クロード・モネは、そんなジヴェルニーのモネの家に西暦1926年に86歳で亡くなるまで住み続けたんだそうな。
ちょいと余談を一つ。フランス南部プロヴァンス地方の古都エクサン・プロヴァンス(エクス)に生まれた画家ポール・セザンヌは、モネに招待されて西暦1894年にジヴェルニーのモネの家を訪ねている。その後、セザンヌはサント・ヴィクトワール山の見える場所にアトリエを買っているんだけど、それもモネの家の影響だったかもしれないね。
画家クロード・モネが描き続けた睡蓮の池印象派の画家クロード・モネは、ジヴェルニーのモネの家の睡蓮の池を様々な作品に描き続けた。例えば下の画像は、パリのオルセー美術館にあるモネの「ジヴェルニーの舟遊び」。
でも、このジヴェルニーの睡蓮の池といえば、モネの代表作となった連作「睡蓮」だよね。
イギリスの首都ロンドンを描いた画家クロード・モネといっても、フランス印象派の画家クロード・モネは、ジヴェルニーに閉じこもっていたわけじゃない。例えばイギリスの首都ロンドンには何度も出かけている。ロンドンの国会議事堂(ビッグ・ベンが有名)をテーマに、モネは連作「国会議事堂」を残してもいる。
上の画像がロンドンの国会議事堂だけど、モネはその他にもロンドンをテーマにした作品を残しているね。
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