イスタンブールのトプカプ宮殿(トルコ)西暦1453年にビザンティン帝国を滅ぼし、コンスタンティノープル(今のトルコのイスタンブール)を占領したオスマン・トルコのメフメト2世は、かつてのアクロポリスの跡地にトプカプ宮殿の建設を命じた。以後、イスタンブールのトプカプ宮殿は、西暦1855年にアブドゥルメジドによるドルマバフチェ宮殿が完成するまで、オスマン・トルコのスルタンたちが居住する宮殿だった。 トプカプ宮殿の送迎門と行列の広場右の画像はトプカプ宮殿の「送迎門(あるいは、中の門、挨拶の門)」。西暦1525年にスレイマン大帝の命で築かれたんだそうな。この門の向こうに「行列の広場(あるいは外廷、第二の中庭)」がある。 年に 4回、オスマン・トルコ軍のイェニチェリの兵士たちは、この行列の広場に集まり、給料を受け取っていたらしい。その際は、スルタンの台所で調理されたスープやピラフが、兵士たちに振舞われたんだそうな。 オスマン・トルコのトプカプ宮殿の中にあるハーレムオスマン・トルコのトプカプ宮殿の奥には、「ハーレム」があった。ハーレムという言葉の語源は、アラビア語の「ハラム」、つまり「禁断の場」なんだそうな。昔の日本の宮廷、つまり「禁裏」という言葉と意味が似ているよね。当時のハーレムには、スルタンを取り囲む1000人以上もの女性がいたらしい。 しかし、それだけの数の女性がいたら、名札でも付けておいてもらわないと困るだろうね。女性の名前を呼び間違えるとエライことになるもの。それは東西を問わず、時代を問わず、人類普遍の原理だよね。 オスマン・トルコのスルタンたちのお宝の山トプカプ宮殿の中には、宝物館もある。そこでは、スルタンたちのお宝の山を見ることが出来るんだ。例えば、シャー・ナディルの玉座、宋・明や日本の有田・伊万里などの陶磁器、ダイヤモンドやエメラルドに飾られた短剣など。 右の画像にあるのは、スルタンのターバンに付けられた羽飾り。数え切れないほどの真珠と大きなルビーが埋め込まれている。
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