ヨーロッパの歴史風景 中世編




西暦1419年、イタリアの街シエナのカンポ広場にフォンテ・ガイア(喜びの泉)が完成した。


地下水道の出口に作られたフォンテ・ガイア(喜びの泉)

中世の面影を色濃く残すイタリアのトスカナ地方にある街シエナ(中世ヨーロッパの巡礼路の一つであるフランチジェーナ街道の経由地でもある)の中心はカンポ広場だね。そのカンポ広場の一画に西暦1419年に作られたのが、下の画像にあるフォンテ・ガイア(喜びの泉)だった。

イタリアのトスカナ地方の街シエナのカンポ広場にあるフォンテ・ガイア(喜びの泉)

といっても、西暦1419年に完成したフォンテ・ガイア(喜びの泉)は2代目だった。初代は西暦1342年、地下水道が完成した時に作られたんだそうな。いずれにしてもシエナに水を供給する地下水道の末端がフォンテ・ガイアだったらしい。

14世紀から15世紀といえば日本では室町時代だけど、その頃に地下水道を完成させるなんてすごいよね。でも、フランス南部プロヴァンス地方ポン・デュ・ガール(水道橋)などを築いた古代ローマ帝国の末裔が住むイタリアだから、驚くほどのことじゃないのかもしれないけどね。

シエナの中心カンポ広場にあるフォンテ・ガイア(喜びの泉)

ところで、このフォンテ・ガイア(喜びの泉)はカンポ広場に作られたんだけど、中世のシエナの人々の暮らしの中心がカンポ広場だったそうな。この広場では市場も開かれた。広場の脇にはプブリコ宮殿(市庁舎)もあるんだけど、市の条例などはこのカンポ広場で公布された。処刑などもここで行われたんだそうな。

イタリアのトスカナ地方の街シエナのカンポ広場の様子、遠くに大聖堂(ドゥオモ)の鐘楼が見える

上の画像はそんなカンポ広場の様子なんだけど、上の画像の中央やや左、建物の上に白っぽい塔が見えるよね。あれがシエナ大聖堂(ドゥオモ)の鐘楼だね。

シエナの繁栄と衰退を見てきた大聖堂(ドゥオモ)

フォンテ・ガイア(喜びの泉)のあるカンポ広場からも見えていたシエナ大聖堂(ドゥオモ)の鐘楼を間近に見上げたのが下の画像だ。

イタリアのトスカナ地方の街シエナの大聖堂(ドゥオモ)の鐘楼

イタリア・ゴシックの華とされるシエナ大聖堂なんだけど、その建設が始まったのが12世紀末、完成は13世紀後半とされている。まさにトスカナ地方の覇権をフィレンツェと争ったシエナの全盛時代の建物というわけだ。

14世紀に入ってシエナ大聖堂の拡張工事が始まった。ライバルであるフィレンツェの大聖堂(ドゥオモ)に負けないものにしようと考えたらしい。そんなシエナを襲ったのが、西暦1347年にフランス南部プロヴァンス地方港町マルセイユに上陸した黒死病(ペスト)だった。

全盛期にあったシエナは病魔によって人口の半分を失った。プブリコ宮殿にフレスコ画を残したシエナ派の画家アンブロージオ・ロレンツェッティもその兄もペストで亡くなった。シエナの経済は低迷し、シエナ大聖堂の拡張工事は中断され、二度と再開されることは無かった。

中世の面影を残すシエナ歴史地区

カンポ広場に2代目のフォンテ・ガイア(喜びの泉)が完成した西暦1419年というのは、シエナが黒死病(ペスト)以来の低迷を抜け出そうともがいていた時期にあたるよね。ところが、結局のところはシエナの低迷は続き、スペインと組んだ大公コシモ1世フィレンツェに征服されてしまったんだ。

その後のシエナは歴史の表舞台の主役となることはなかったみたい。でも、そのおかげで中世の面影を残すことになり、世界遺産ともなっているシエナ歴史地区を私たちが歩くことができるわけだね。

イタリアのトスカナ地方の街シエナのプブリコ宮殿のテラスから眺めた街並みと周囲の田園地帯

上の画像はカンポ広場の脇にあるプブリコ宮殿の裏のテラスからの眺め。シエナの街並みの左には、周囲の田園地帯も見えている。フォンテ・ガイア(喜びの泉)に水を供給した地下水道は周囲の農地をも潤おしたとか。でも、衰退するシエナの人々の頬を濡らしたのは喜びの泉ではなかったかもしれないけど ・・・ 。

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