ヨーロッパの歴史風景 中世編




西暦1303年、イングランド王エドワード1世が、スコットランドのネス湖のほとりのアーカート城を攻略した。(イギリス)


ネス湖のほとりの古城 アーカート城
(スコットランド、イギリス)

イギリス北部スコットランドの奥地にあるネス湖のほとりにたつアーカート城は、ハイランドでも人気のある観光地のひとつなんだ。

ハイランドのネス湖のほとりのアーカート城(スコットランド、イギリス)

上の画像にも見えるように、多くの観光客がこのアーカート城を訪れる。ネッシーで有名なネス湖のほとりにあるという地の利もあるんだけどね。

アーカート城をめぐる
イングランドとスコットランドの争奪戦

このアーカート城の歴史は、少なくとも13世紀初頭にまで遡るんだそうな。ハイランドの反乱を鎮圧したスコットランド王アレクサンダー2世が、義理の息子をアーカートの城主として地域の抑えとしたのが西暦1228年。アーカート城には、この時期の遺構も残っている。

しかし、その後のアーカート城は、侵攻してくるイングランド軍と、それを押し返そうとするスコットランド軍との間の争奪戦の的となったんだ。

西暦1296年には、スコットランド軍を打ち破ったイングランド王エドワード1世がアーカート城を攻略。しかしその翌年にはスコットランド側のサー・アレクサンダー・フォーブズがアーカート城を奪還した。

ハイランドのネス湖のほとりのアーカート城(スコットランド、イギリス)

再び西暦1303年には、イングランド王エドワード1世が再びアーカート城を攻略。しかし、スコットランド独立の英雄ロバート・ザ・ブルースによって、アーカート城が奪還されたんだそうな。

スコットランド王家とマクドナルド一族との争い

アーカート城は、イングランドとスコットランドの争奪戦の的となっただけではなかった。14世紀後半からは、スコットランド西部の海岸地帯に強大な勢力を張るマクドナルド一族と、統一を進めようとするスコットランド王家との争いの舞台ともなったんだ。

その後、マクドナルド一族の勢いが衰えた時期には、この辺りにも平和が甦ったかに見えた。しかし、16世紀にマクドナルド一族が勢力を盛り返すと、再びネス湖周辺にも戦雲が立ち込めた。このアーカート城も、マクドナルド一族によって二度も攻囲されている。

しかし、17世紀に入ってアーカート城は打ち捨てられてしまった。付近の住民が家を建てるために城の石材を持ち出すこともあったらしい。そして今は、ネス湖観光の目玉の一つとなっている強兵どもの夢の跡である。

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