フィレンツェにある花の聖母マリア大聖堂(ドゥオモ)イタリアの初期ルネサンスを代表する建物でもあり、古都フィレンツェでも最も人気の高い観光スポットとなっているのが、花の聖母マリア大聖堂(ドゥオモ)だよね。その様子が下の画像なんだ。
フィレンツェのシンボルともいえるこの大聖堂(ドゥオモ)のクーポラが完成し、建設工事が完了したのは西暦1434年のことだった。(細かく言えば、ファサードの完成は西暦1887年のことらしいけどね。)
修行時代のアルノルフォ・ディ・カンビオフィレンツェを、いやイタリアの初期ルネサンスを代表する建築物を設計したアルノルフォ・ディ・カンビオなんだけど、父親が誰なのか、どこで生まれたのかも定かでないらしい。ただ、生まれたのは西暦1240年頃と推測されている。
そんな彼は20歳の頃には著名な彫刻家のニコラ・ピサーノの下で助手として働いていたらしい。フィレンツェのライバルだったシエナの街のドゥオモ(上の画像)で制作をしていた時期があったとされている。
また彼はニコラ・ピサーノがピサの洗礼堂(ピサの斜塔と同じドゥオモ広場にある)で説教檀を制作する際にも、弟子として手伝っている。その後、一緒に働いたニコラの息子ジョヴァンニ・ピサーノはピサのドゥオモ(大聖堂)で説教檀を制作している。
ローマで制作していたアルノルフォ・ディ・カンビオその後、師匠の下から独り立ちをしたアルノルフォ・ディ・カンビオは、ローマで活動していたらしい。当時のナポリの支配者だったシャルル・ダンジューの彫像なども制作したんだそうな。
上の画像は、ローマのサン・ピエトロ大聖堂にある聖ペテロ像なんだけど、この像もアルノルフォ・ディ・カンビオの作品だとする説もある。但し、最近はこの像は4世紀頃の名も無いシリアの彫刻家の作品だと言われているらしいけどね。
フィレンツェに戻ってきたアルノルフォ・ディ・カンビオそんなアルノルフォ・ディ・カンビオがフィレンツェに戻ってきたのは西暦1294年のことだった。フィレンツェの花の聖母マリア大聖堂(ドゥオモ)の設計の依頼を受けた年だよね。
その頃の彼はフィレンツェにあるサンタ・クローチェ教会の設計も行ったとされている。上の画像はその教会の中庭の様子なんだけど、奥に見えているのはパッツィ家の礼拝堂なんだ。ロレンツォ・デ・メディチ暗殺を狙ったパッツィ家の陰謀で名高い家にゆかりの場所だね。
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