海戦の勝利から始まったピサの大聖堂の建設イタリアの海辺の街ピサは、古代エトルリア人の時代から地中海での交易に乗り出していたそうな。古代ローマ帝国の時代になっても皇帝アウグストゥスは港湾都市としてのピサを重視していた。そんな海洋都市ピサの伝統は、中世になっても生きていた。地中海ではイスラム教徒の海賊たちが跋扈していたんだけど、ピサの艦隊は北アフリカにあるイスラム教徒の拠点を攻撃したり、サレルノなどイタリア南部の都市の防衛に参加したりと活躍したらしい。 西暦1063年、ピサの艦隊がシシリアの沖でイスラム教徒の海賊たちとの海戦で勝利を得た。その際の戦利品などで建設を始めたのが、ピサの大聖堂(ドゥオモ)だった。
上の画像(kaoringoさんに戴いたもの)は世界遺産ともなっているピサのドゥオモ広場(奇跡の広場)の様子なんだ。左に見えているのは洗礼堂、次いで大聖堂(ドゥオモ)、そして右手奥には名高いピサの斜塔が並んでいる。イタリアを訪れる観光客は多いけれども、このドゥオモ広場は人気の高いスポットの一つだよね。
ピサの大聖堂(ドゥオモ)戦利品を財源に建設が始まったピサの大聖堂(ドゥオモ)の内部が下の画像。建設工事は200年以上も続き、完成したのは西暦1272年のことだった。ロマネスク様式を基本としながらも、ビザンティン様式なども取り入れているんだそうな。
ところで、上の画像の左上に天井から下がっているランプが見えるよね。地動説で名高いガリレオ・ガリレイは、この大聖堂のランプの揺れを見て「振り子の法則」を見出した ・・・ という伝説もあるんだけど、史実ではないらしいね。ちなみに「振り子の法則」とは、振り子の揺れが大きくても小さくても、その往復にかかる時間の長さは同じだということなんだそうな。
ピサの斜塔まだまだ工事の続く大聖堂(ドゥオモ)の脇で鐘塔の建設が始まったのは西暦1173年のことだった。ところが着工から10年も経たないうちに工事は中断されている。早くも鐘塔が傾き始め、「ピサの斜塔」になってしまったんだね。塔の基礎の南側の地盤が軟らかく、その結果として南に傾いてしまったんだそうな。その後、ピサの斜塔の建設工事は断続的に行われ、一説によれば西暦1284年に一応の完成とされている。といっても、その後も工事が再開されたこともあり、完成は14世紀後半とする場合もある。いずれにせよ、当初の計画では高さ100メートル以上となるはずのものが、結局はその半分あまりで停まっているわけで、今も未完成というべきなのかもしれないね。
その後もピサの斜塔の傾きは大きくなり、ついに西暦1990年に公開が中止され、傾斜を小さくする為の工事が行われた。塔の基礎の北側の地盤を削り、南側とのバランスを取ったらしい。その結果、西暦2001年に再び公開されている。そんなピサの斜塔の様子が上の画像(これもkaoringoさんから戴いたもの)なんだ。
ピサの斜塔、大聖堂、洗礼堂最後になったけど、大聖堂(ドゥオモ)の脇には洗礼堂も建てられている。その建設が始まったのが西暦1152年、完成は14世紀のことなんだそうな。下の画像においては、ピサの斜塔の向こうに大聖堂(ドゥオモ)、その向こうに見えるのが洗礼堂だね。
ちなみに、この洗礼堂の中にはニコラ・ピサーノによる説教檀がある。その制作に参加していた弟子の一人がアルノルフォ・ディ・カンビオだった。どこかで耳にしたことのある名前でしょ。
イタリアには他にも斜塔がところで、話は斜塔に戻るんだけど、実はイタリアには他にも斜塔がある。例えば例えば、ヨーロッパ最古の大学で名高い街道の街ボローニャ。この街には中世には100本を越える塔が林立していたんだけど、今でも20本ほどが残っているんだそうな。そんなボローニャの塔の中には傾いている塔、つまりは斜塔もある。中でも名高いのはアシネッリの塔かな。高さは 97mもあるらしい。ピサの斜塔の倍近い高さだね。街の中にあるだけに、そんな高さの斜塔が万が一にも倒れたら大変なことになりそうだね。
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