ヨーロッパの歴史風景 中世編




西暦1191年、イギリスのグラストンベリーの丘でアーサー王の遺体が発掘された ・・・ とか。


アーサー王の遺体が発掘された
・・・ かもしれないグラストンベリーの丘

イギリス南西部のサマーセットにグラストンベリーの丘(トールあるいはトー)がある。高さは 150メートルほどの小さな丘(下の画像)だね。

アーサー王の遺体が発掘された ・・・ かもしれないグラストンベリーの丘(イギリス)

その事件が起きたのは、今から800年以上も前のこと。西暦1191年に、このグラストンベリーの丘の頂上でアーサー王の遺体が発掘されたんだそうな。その発掘は、グラストンベリー修道院の院長の命で行われたらしい。

ジェフリー・オブ・モンマスの「ブリタニア列王伝」

アーサー王はアングロ・サクソン人と戦ったケルト人の英雄なんだけど、でも実在の人物だとは確認されていないんだ。仮に実在したとしても、アーサー王は6世紀前半に亡くなったと考えられている。

そんな伝説のアーサー王を蘇らせたのが、ジェフリー・オブ・モンマスという人物。彼が西暦1138年に著した「ブリタニア列王伝」はアーサー王について書いているんだけど、その本がイギリスに限らず、ヨーロッパで人気を集めたんだそうな。

そんな「ブリタニア列王伝」が世に出たからこそ、その数十年後にアーサー王の遺体が発掘されたということは、あるんだろうね。ただし、その書物の中のアーサー王は、イギリスのみならず、アイスランドからノルウェー、そしてフランスまでも征服したとされているらしいけど。

グラストンベリー修道院に改葬されたアーサー王の遺体

ともかく12世紀に発掘された ・・・ というアーサー王の遺体は、西暦1278年にグラストンベリー修道院(下の画像)にあらためて葬られたらしい。

アーサー王の遺体が改葬された ・・・ かもしれないグラストンベリー修道院跡(イギリス)

その際には、ウェールズへ遠征に行く途中だったイングランド王エドワード1世も立ち会ったんだそうな。

ケルト人の英雄アーサー王を葬るべし

そのイングランド王エドワード1世は、ウェールズ土着のケルト系の人々の反乱の鎮圧に苦労していたんだ。その為に後のことになるけれども、カーナフォン城コンウィ城を築いたり、息子をプリンス・オブ・ウェールズにしたりしたわけだ。

そうやってケルト人を支配しようとしているエドワード1世にとって、ケルト人の英雄であるアーサー王がアヴァロンの島からいつか戻って来て人々を救うなどという伝説は許しがたいことになるわけだ。特にこれからエドワード1世が遠征に向かうウェールズでは、アーサー王は人気が高かったらしいから。そんなわけでエドワード1世はアーサー王の遺体を目の前で葬ることが必要だったんだ。

加えて、グラストンベリー修道院としても、ケルト人の英雄を修道院の祭壇に改葬するということは悪い話じゃないよね。実際のところ、これ以後は多くの人々がグラストンベリー修道院に巡礼に来たらしい。つまり、エドワード1世と修道院長とアーサー王を求める人々の求めるところが一致したということかな。

廃墟となったグラストンベリー修道院

ところが、16世紀には怪物が登場したんだ。王妃と離婚してアン・ブーリンと再婚したかったイングランド王ヘンリー8世は、英国国教会を組織し、ローマ教皇と決別し、修道院を解散させちゃった。

アーサー王の遺体が改葬された ・・・ かもしれないグラストンベリー修道院跡(イギリス)

その結果、グラストンベリー修道院は上の画像のような廃墟となり、アーサー王の遺体も行方不明というわけだ。伝説は再び謎の霧の彼方へ消えてしまったというわけだね。

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