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西暦1152年、アキテーヌ女公爵エレアノール(アリエノール)が、プランタジネット家のヘンリー(後のイギリス王ヘンリー2世)と結婚した。
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フランスを南北に分断するロワール川
美味し国フランスでは、各々の地方で様々な美味しいものを楽しむことが出来るよね。地方ごとの気候・風土・歴史・文化が、食べ物・飲み物に反映しているわけだ。同時にその気候・風土・歴史は、その地方に住む人々の気質にも反映しているみたい。
その一例として、フランスを東西に流れるロワール川(上の画像)の南と北では、住む人々の気質も全く違っているとよく言われるね。(そのロワール川の流域には、シュノンソー城・ブロワ城・シャンボール城などの美しい城があちこちにある。)
カペー朝フランス王ルイ7世と アキテーヌ女公爵エレアノール
西暦1137年7月25日に、フランス西部の街ボルドーにあるサンタンドレ大聖堂(下の画像)で結婚式を挙げたルイとエレアノールは、ロワール川の北と南の人々の気質の違いを代表するカップルなんだそうな。
ここでいうルイとは、カペー朝フランス王家の皇太子ルイ(後のフランス王ルイ7世)のこと。他方のエレアノールとは、現在のフランスの4分の1ほどの広さ、あるいは当時のフランス王家カペー家の領地の3倍の広さの所領を誇るアキテーヌ公爵家の相続人エレアノール(フランス語ではアリエノール)のことなんだ。
修道士になりたかったフランス王ルイ7世
新郎のフランス皇太子ルイは、カペー朝フランス王ルイ6世の次男に生まれた。フランス王位は兄のフィリップが継ぐだろうから、弟の彼はフランスの首都パリの郊外にあるサン・ドニ修道院(今は大聖堂)で育てられたんだ。(下の画像は現在のサン・ドニ大聖堂のバラ窓のステンド・グラス。この大聖堂には、ルイ16世とマリー・アントワネットの墓もある。)
そんな育ちからか、知的ではあっても力強さに欠けていたルイ7世。ところが、兄のフィリップが落馬により急死したことで、突如としてフランス皇太子になっちゃった。
トゥルバドゥールの血をひく アキテーヌ女公爵エレアノール
対するアキテーヌ女公爵エレアノールは、トゥルバドゥールとしても有名なアキテーヌ公ギョーム9世の孫。知性がないわけじゃないけれども、力強く現世を楽しみながら生きていく女性だった。
そんな二人の関係は新婚当初からうまくいったとは言えなかったらしい。結局のところは破綻に陥り、西暦1152年3月21日に二人の婚姻は解消されたんだ。もちろん、当時のことだから、今のイタリアの首都ローマを拠点としていたカトリックの元締めローマ教皇の承認を得ている。
プランタジネット家のヘンリーと
アキテーヌ女公爵エレアノール
カペー家出身のフランス王ルイ7世との婚姻を解消して3ヵ月後の1152年5月18日、アキテーヌ女公爵エレアノールは、ノルマンディー公にしてアンジュー伯たるプランタジネット家のヘンリーと結婚した。その結婚がまた様々なドラマの始まりになったんだそうな。
結婚して2年後にプランタジネット家のヘンリーはイギリス王ヘンリー2世としてロンドンで戴冠し、エレアノールは二つ目の女王の地位を手に入れた。更に二人の子供であるリチャード1世獅子心王とジョン失地王も、イギリスの歴史のユニークなページをつづることになるわけだ。
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