アイスランドに開設されたアルシング(国会)アイスランドの島は西暦860年頃に発見されたと言われているんだけど、そんな島に殖民を始めたのはノルウェー系のヴァイキングだったと言われている。西暦874年頃のこととされている。その後もヴァイキングたちの植民は続いた。彼らはアイスランドでは牧畜と漁業を主な産業としていたんだけど、10世紀初頭には牧畜の可能な土地のほぼ全てに人々が住み始めたらしい。 そんな状況でアイスランド全体の問題を討議する為のアルシング(全島国会)が設立された。西暦930年頃のこととされている。その場所が今のシンクヴェトリル国立公園の中にある溶岩台地(下の画像)だった。
この場所で6月末から7月初旬にかけての2週間にわたってアイスランド各地からやって来た人々が集まり、アルシング(国会)が開催されたそうな。その期間中、この場所は宴会の場でもあり、また商売の場でもあったらしい。
キリスト教への改宗を定めたアルシングアイスランドへの植民を始めた頃のヴァイキングは、彼らの伝統的な宗教を信仰していた。しかし、彼らの故地であるノルウェーなどでもキリスト教の信仰が広がり、10世紀にはノルウェー王が島に宣教師を送り込み、キリスト教への改宗を働きかけたらしい。ヴァイキングの伝統的な信仰を守るのか、あるいは新来のキリスト教に改宗するのか、当時の人々にとっては大問題だよね。というわけで、島全体の問題を討議するアルシングにおいて結論を出すこととなったんだ。そして西暦1000年、アルシングはキリスト教への改宗を決定した。アイスランドの人々の伝統的な習慣である馬肉を食べることを許すという条件が付けられていたんだそうな。
かくしてアイスランドにおいてキリスト教への改宗が進んでいった。西暦1056年には島で最初の司教区が設けられ、島の出身であるイスレイヴが最初の司教となっている。(上の画像は初代司教イスレイヴが司教座を置いたスカールホルトの現在の教会の様子。)
アイスランド独立運動とアルシング自由なヴァイキングが定住したアイスランドなんだけど、西暦1262年にはノルウェー王の支配下に入り、やがてデンマーク王が支配者となった。その後、西暦1800年にはアルシング(国会)は廃止されてしまったんだ。そんなアルシングが復活したのは西暦1843年のこと。但し、立法権のある国会としてではなく、諮問議会としての存在だった。それでも、そのアルシングを後ろ盾に独自の憲法を要求するなどの独立運動が展開していった。
その独立運動の指導者が、アルシングの議員でもあったヨン・シグルズソンだった。上の画像はアイスランドの紙幣なんだけど、中央に描かれているのが、そのヨン・シグルズソンなんだ。そして紙幣の右下に描かれている建物が、首都レイキャビクにあるアルシングの議事堂。いつまでもシンクヴェトリルの溶岩台地がアルシングの舞台だったわけじゃなかったんだね。
シンクヴェトリルで見たギャオ 地球の裂け目ところで、アルシング(国会)の話からは逸れてしまうんだけど、その故地であるシンクヴェトリル国立公園では、ギャオ すなわち地球の裂け目を見ることが出来る。それが下の画像なんだ。
地球の表面は十数枚のプレートでできているんだけど、そのプレートはマントル対流によって動かされている。ある場所ではプレート同士がぶつかりあい、ある場所では複数のプレートが引き離されている。アイスランドは東西の二つのプレートが引き離されている場所にあるんだけど、その結果としてできるギャオ 地球の裂け目をシンクヴェトリル国立公園で見ることができるというわけだ。
All rights reserved 管理・運営 あちこち三昧株式会社 このサイトの画像 及び 文章などの複写・転用はご遠慮ください。 |