ヨーロッパの歴史風景 中世編




西暦624年(あるいは625年)、イングランド東部(イギリス)にあったイースト・アングリア王国の王レッドウォールドが亡くなった。


イースト・アングリア王 レッドウォールド

イングランド東部にあったアングロ・サクソン系の王国イースト・アングリアで、西暦624年(あるいは625年)にレッドウォールド王が亡くなった。

当時のイースト・アングリアの王座はデベン川付近にあったとされている。そのデベン川付近沿いの街サットン・フーで、古墳(船塚)が発見された。そこに埋葬されていたのは、そのレッドウォールド王じゃないかと考えられているんだ。

サットン・フーの冑
(大英博物館、ロンドン、イギリス)

西暦1939年に発掘されたサットン・フーの古墳からは、サングロ・サクソンに関係する様々な遺物が発見されている。その中でも代表的なものが、「サットン・フーの冑」(下の画像)かな。

イギリスの首都ロンドンの大英博物館で見たサットン・フーの兜

このサットン・フーの冑は、イギリスの首都ロンドンにある大英博物館で見ることが出来るんだ。

サットン・フーの冑の復元品

ロンドンの大英博物館で見るサットン・フーの冑のレプリカ(イギリス) 大英博物館では、鉄製の冑の表面を錫を張った青銅で装飾したサットン・フーの冑の復元品を見ることも出来る。

それが右の画像にあるヘルメット。ガラス越しの撮影だから、ちょっと見難いんだけど、当時のヘルメットの様子がよくわかる。サビてしまったオリジナルとは、ずいぶんと様子が違うんだね。

余談ながら、イギリスってのはオリジナルがある場合でも復元品とかレプリカを作るのが好きかも。イングランド南部にあるカンタベリー大聖堂の中には、黒太子エドワードの武具のオリジナルとレプリカを共に展示してあったりするんだ。

サットン・フーの船塚の被葬者は誰 ?

サットン・フーの船塚に埋葬されたのは西暦624年頃に亡くなったイースト・アングリア王レッドウォールドと考えられていると書いたけれども、異説がないわけじゃないんだ。

例えばレッドウォールド王の息子オープウォールド(西暦627年頃に没)という説もあるし、その弟たちのシーグベルトあるいはエリック(どちらも西暦636年頃に没)という説もある。

余談ながら、サットン・フーの出土品は、その土地を所有していたエディス・M・プリティ夫人に帰属していた。でも、夫人は全ての出土品を大英博物館に寄贈したらしいよ。おかげで私たちもサットン・フーの出土品を見ることが出来るんだ。

その後のイースト・アングリア王国

8世紀末には、イースト・アングリア王国はマーシア王国に従属したらしい。しかし、9世紀の前半にマーシア王国に対する反乱が起こり、イースト・アングリア王国も復興した。

ところが9世紀の後半、イースト・アングリア王国はデーン人(ヴァイキングの一派)によって席巻され、ヴァイキングの支配するデーンロー地域の一部に組み込まれた。

そして西暦921年、勢力を盛り返したアングロ・サクソンのイングランドによって征服され、イングランドの伯爵領の一つとなったんだそうな。

次のページ



姉妹サイト ヨーロッパ三昧

ヨーロッパ三昧

このサイト「ヨーロッパの歴史風景」の本館が「ヨーロッパ三昧」です。イギリス・フランス・イタリア・スペイン・ギリシャ・トルコ・エジプト・ロシア・アゼルバイジャンなど25国45編の旅行記を掲載しています。こちらも遊びに行ってみてくださいね。

「ヨーロッパ三昧」のトップ・ページのURLは、 http://www.europe-z.com/ です。

Copyright (c) 2002-2011 Tadaaki Kikuyama
All rights reserved
管理・運営 あちこち三昧株式会社
このサイトの画像 及び 文章などの複写・転用はご遠慮ください。