ヨーロッパの歴史風景 先史・古代編




紀元前5000年ころ、農耕や牧畜がブリテン島(イギリス)にまで広がった。


始まりはナイル川のほとりだった

人類の文明が形となるはるか昔、人々は草原で狩りをしたり森で木の実を採って食べ物を得ていたのかな。ところが、エジプトを流れるナイル川の中流付近では、野生の大麦が繁っていたそうな。そのあたりで暮らしていた人々は、集めた野生の麦を石器ですりつぶせば食べ物になることを発見した。それが1万3千年ほど前のことらしい。

ルクソールのホテルから眺めたナイル川(エジプト)

上の画像はエジプトの街ルクソールを流れるナイル川中流の様子なんだけど、川の両岸には緑が繁っている。人類が初めて麦の味を知ったのは、このあたりのことなのかな。ちなみに、このルクソールには名高いカルナック神殿ルクソール神殿もある。上の画像で見える対岸の山々の中には、ツタンカーメン王の墓などのある王家の谷もあるんだ。

いよいよ農耕と牧畜

ナイル川のほとりの人々が大麦を食べていたといっても、彼らは野生の大麦を採取していたに過ぎなかった。というわけで、まだ「農耕」とは言えないよね。ところが、紀元前7千年から8千年ころ、メソポタミアからアナトリアにかけて住んでいた人々が計画的に麦を栽培し始めたらしい。いよいよ「農耕」の始まりだよね。

他方、トルコからイラクにかけての西アジアには乾燥した土地が広がっているよね。そんな土地では水のある場所は少ないわけだ。つまり、その貴重な水のある場所には、人間も動物も集まってくる。かくして人間と動物が近づけば、動物を家畜化するきっかけが生まれる。その結果、牧畜が始まったと考える学者もいるらしい。

羊が家畜化されたのは紀元前9千年頃のアナトリア(現在のトルコ)、そのアナトリアで牛が家畜化されたのが紀元前 5-6千年頃。その間にヤギや豚も家畜化されていったらしい。

ロンドンの大英博物館で見た古代エジプトの農耕模型

かくして始まった「農耕」と「牧畜」は、エジプトにも広まっていった。エジプトで行われた牛を使った耕作の様子を示すものが上の画像。これは古代エジプトにおける農耕の模型なんだそうな。墓の中から発掘されたものなんだけど、ロンドン大英博物館の中の古代エジプトの展示の中に見ることが出来るんだ。

ちなみに、エジプト南部にある名高い観光名所のアブ・シンベル大神殿中に入れば、オシリス神の姿をしたラムセス2世の像が林立している。そのオシリス神が古代エジプトの人々に小麦の育て方やパンの焼き方を教えたとされている。

ヨーロッパ各地に広がる農耕と牧畜

紀元前 7千年頃にアナトリアで行われていた農耕と牧畜は、紀元前 6千年頃にはバルカン半島にある現在のブルガリアに伝わっていたんだそうな。そこから更にヨーロッパ各地に広がっていったらしい。

フランス南部プロヴァンス地方の村ヴァレンソールで見た小麦の収獲風景

上の画像はフランス南部プロヴァンス地方の村ヴァレンソールの小麦畑での収獲の様子なんだけど、こんな風景が広がっていったことがヨーロッパの歴史の基礎になったんだろうね。(余談ながら、このヴァレンソールの村では一面に広がるラヴェンダーの花の風景が素晴らしかったりする。)

農耕と牧畜がブリテン島(イギリス)に到達

エジプトやメソポタミアを出発し、アナトリアで成長し、ヨーロッパ各地を旅しつつ多様化してきた農耕と牧畜は、紀元前 5千年頃にはブリテン島(イギリス)に到達した。(下の画像はイギリスのコッツウォルズ地方の風景。)

イギリスのコッツウォルズ地方の牛

その後、ヨーロッパの人々は暗い森を切り開き続けて農地や牧場を作り、ヨーロッパならではののどかな田園風景が出来上がったんだね。それを自然破壊というべきなのかどうか、私にはわからない。でも、少なくともそのおかげでロンドンのパブでビールを飲み、ダブリンでアイリッシュ・ウィスキーを楽しむこともできるんだけどね。

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