イタリアの山中にあるサン・マリノ共和国ヨーロッパにはとっても小さな独立国がいくつかあるよね。例えば、イタリアの首都ローマの中にあるヴァティカン市国、フランス南部の街ニースから近いモナコ公国。前者が世界で最も小さな国、後者が世界で2番目に小さな国なんだそうな。そしてイタリアの山中にあるサン・マリノ共和国は世界で5番目に小さな国(ヨーロッパでは3番目に小さな国)なんだそうな。
このサン・マリノ共和国はイタリアの北東部にあるチタン山(ティターノ山)の上にある。上の画像はそんなサン・マリノ共和国の第一の砦 グアイタの塔を第二の砦 ケスタの塔から眺めた様子なんだ。
聖マリヌスによって建国されたサン・マリノ共和国イエス・キリストが十字架によって処刑された後、古代ローマ帝国にはキリスト教を信じる人々が増えていった。でも、当初はキリスト教徒に対する迫害が行われ、多くの人々が殉教したんだそうな。例えば、あの悪名高い皇帝ネロによる迫害によって聖ペテロ(サン・ピエトロ)が殉教したと言われる。(ローマのサン・ピエトロ大聖堂はその聖ペテロの墓の上に建てられたとされているね。)そして西暦301年、皇帝ディオクレティアヌスによるキリスト教徒迫害を逃れた聖マリヌス(サン・マリノ)はチタン山(ティターノ山)の山中に隠れ住み、仲間と共に共同体を作ったらしい。それが今のサン・マリノ共和国の始まりだとされている。(聖マリヌスはダルマツィア出身の石工だったとか。) といっても、西ローマ帝国の滅亡から東ゴート族のテオドリック大王によるイタリア支配、それ以後も多くの勢力がサン・マリノを服属させようとしたんだ。対するサン・マリノ共和国の人々はチタン山の上に三つの城砦を築き、城壁で囲んで独立を守ろうとしたわけだ。
上の画像はサン・マリノ共和国で発行された切手なんだけど、チタン山に築かれた三つの城砦を描いている。左から第一の砦 グアイタの塔(11世紀に建てられた)、第二の砦 ケスタの塔(13世紀)、そして第三の砦 モンタレの塔(14世紀)というわけだ。
ローマ教皇によって認められたサン・マリノ共和国の独立とはいえ、サン・マリノ共和国の独立が平穏に守られてきたわけじゃない。例えば15世紀後半には近くのリミニの領主マラテスタ家の軍がサン・マリノ共和国に攻め寄せてきたらしい。サン・マリノ共和国の人々はマラテスタ軍を撃ち破り、独立を守り抜いたんだそうな。(下の画像は第一の砦 グアイタの塔から眺めた第二の砦 ケスタの塔の様子。)
西暦1503年にはローマ教皇アレクサンデル6世の息子のチェーザレ・ボルジアの勢いに屈服したこともあるらしい。間もなくチェーザレ・ボルジアが勢力を失い、サン・マリノ共和国は独立を回復したけどね。その後も紆余曲折はあった。でも、その独立は今も守られているわけだ。
サン・マリノ共和国とリベルタ(自由)現存する最古の共和国とも言われるサン・マリノ共和国の国是が「リベルタ(自由)」なんだそうな。そんなサン・マリノ共和国の政庁の前には自由の女神が立っている。名高いアメリカの自由の女神よりも10年も前に立てられたとされている。
上の画像はそのサン・マリノ共和国で発行されたコインに描かれた政庁と自由の女神なんだ。小さいながらも独立国であるサン・マリノ共和国では独自の切手やコインが発行されている。どちらも観光客に人気の土産物になっているよ。
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