聖ヨハネ(洗礼者)によるイエス・キリストの洗礼イエス・キリストが生まれた年について、実は正確にはわからないらしい。かつてはキリストの生誕をもって西暦元年とされたんだろうけど、最近ではキリストの生誕は紀元前4年だったとする考えが主流派みたいだね。そのイエス・キリストは30歳の頃にヨルダン川において聖ヨハネ(あるいは洗礼者ヨハネ)から洗礼を受けたとされている。というわけで、ここでは西暦26年としたわけだ。
上の画像は東ゴート王国のテオドリック王ゆかりのラヴェンナのアリアーニ洗礼堂にあるイエス・キリストの洗礼を描いたモザイク画なんだ。中央の若者が洗礼を受けるイエス・キリスト、左の老人はヨルダン川を象徴し、右の人物が洗礼者 聖ヨハネだね。(同じくラヴェンナのネオニアーノ洗礼堂にも良く似た図柄のモザイク画がある。)
ここでちょいと余談をひとつ。西暦2013年に生まれたイギリスのジョージ王子(エリザベス女王の曾孫にしてチャールズ皇太子とダイアナ妃のお孫さん)の洗礼式においては、イエス・キリストが洗礼を受けたヨルダン川の水がわざわざイギリスの首都ロンドンにまで取り寄せられたらしいよ。ジョージ王子のご両親のウィリアム王子とキャサリン妃は信仰心の篤いキリスト教徒なんだろうね。
聖ヨハネ(洗礼者)とイエス・キリスト上のモザイク画にも見えているけれども、ヨルダン川で洗礼を施していた聖ヨハネ(洗礼者ヨハネ)はラクダの皮の服を着て、革紐のベルトを巻いていたらしい。日々の食事にはイナゴと蜜を食べていたんだそうな。そんな聖ヨハネはイエス・キリストと親戚関係にあった。二人の母親が近しい関係だったらしい。そんなわけで、聖母マリアと幼子イエス・キリスト、そして子供の聖ヨハネ(洗礼者)が描かれることも少なくないね。 その代表例が下の画像。フィレンツェのパラティナ美術館にあるイタリア・ルネサンスの画家ラファエロの絵「小椅子の聖母」なんだけど、中央が赤ん坊のイエス・キリスト、右手は後に洗礼者となる子供の聖ヨハネだね。
聖ヨハネ(洗礼者)は、やがて当時のイスラエルの王ヘロデによって処刑されるんだけど、その理由はヘロデ王の娘(あるいは結婚相手の連れ子)であるサロメが彼の首を望んだからだったとか。
更に余談なんだけど、イエス・キリストに洗礼を施した聖ヨハネは、イタリアの古都フィレンツェの守護聖人でもある。フィレンツェのドゥオモ(花の聖母マリア大聖堂)の前にはサン・ジョヴァンニ洗礼堂があるんだけど、サン・ジョヴァンニ(あるいは聖ジョヴァンニ)とは聖ヨハネのことなんだそうな。その聖ヨハネ洗礼堂では、「神曲」で名高いダンテなどが洗礼を受けたとか。
イエス・キリストの洗礼にならった浸水礼このページの冒頭のモザイク画にも見えるように、イエス・キリストの洗礼は身体全体をヨルダン川の水に浸すものだった。その洗礼に従って、古来の方式では身体全体を水に浸す浸水礼が基本だったそうな。
そんな浸水礼の為の洗礼池が上の画像なんだ。イタリア南部ナポリの大聖堂(ドゥオモ)の洗礼堂で見ることが出来る。資料によれば、ヨーロッパの最古の洗礼堂なんだそうな。
洗礼の方法いろいろ元々の洗礼の方法は浸水礼だった。でも、今では頭に水を注ぐだけの潅水礼や濡らした手を頭に押し付ける滴水礼もあるらしい。多くの宗派はいずれの方法も認めているんだそうな。でも、古来の浸水礼のみを認める宗派もあるとか。また赤ん坊や子供に対する洗礼を認めるか、あるいは大人に対する洗礼のみを認めるか、という問題も宗派によって考え方が色々なんだそうな。
上の画像はオーストリアのザルツブルクの大聖堂にある洗礼盤なんだけど、あのモーツァルトの洗礼の際にも使われたとか。西暦1756年1月に生まれたモーツァルトは、生まれてすぐに洗礼を受けたんだそうな。上の画像に見える洗礼盤はさほど大きくはないけど、赤ん坊ならば浸水礼も可能かな。でも、1月に生まれた赤ん坊に浸水礼を施したならば、すぐに風邪をひいてしまいそうだけど、大丈夫だったのかな。
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