騎士団長ヴァレッテによる要塞都市ヴァレッタの建設西暦1565年5月から9月にかけてのグレート・シージにおいて、激闘の末にオスマン・トルコ軍を撤退に追い込み、聖ヨハネ騎士団は本拠地マルタ島を守り抜いた。その翌年の西暦1566年3月28日、シベラス半島においてミサが行われ、新しい要塞都市の建設が始まった。
要塞都市建設にあたり、その最初の礎石を置いたのは聖ヨハネ騎士団の騎士団長ジャン・ド・ヴァレッテ。その場所が上の画像にある勝利の女神教会だった。新しい要塞都市ヴァレッテ(今のマルタ共和国の首都)の名前は、もちろん騎士団長にちなんだものだね。
要塞都市ヴァレッテの城壁グレート・シージにおいてオスマン・トルコとの戦いを指揮した英雄でもあり、新しい要塞都市ヴァレッテの建設を命じた騎士団長ヴァレッテは、オスマン・トルコが再びマルタ島に攻め寄せてくると考えていた。故に要塞都市ヴァレッテは下の画像のような巨大な堀と城壁で守りを固めたわけだ。
彼の懸念は西暦1614年に現実のものとなった。オスマン・トルコ軍が再びマルタ島に上陸してきたんだ。でも、その際には聖ヨハネ騎士団はさほどの損害を蒙ることなく敵軍を撤退させている。
シベラス半島の高地を取り込んだ要塞都市ヴァレッテグレート・シージにおいてオスマン・トルコ軍はシベラス半島の先端にある聖エルモ城砦を陥落させている。その攻略の為に彼らはシベラス半島の高地に大砲を並べ、無数の砲弾を城砦に撃ち込んだらしい。
そんな戦略上の要地(砲撃の重要な拠点たる土地)をたやすく敵軍に渡すことを避ける為に、新しく建設された要塞都市ヴァレッタにおいては、シベラス半島の高地も要塞の中に取り込んでいる。上の画像はそんな高地を聖エルモ城砦から眺めた様子。
要塞都市ヴァレッタに本拠を移した聖ヨハネ騎士団西暦1530年に皇帝カール5世からマルタ島を与えられた後、聖ヨハネ騎士団は聖アンジェロ城砦のあるヴィットリオーザやその周囲の街を本拠としていた。でも、新しい要塞都市ヴァレッタの建設に応じて、騎士団の本拠はそちらに移されていったわけだ。
例えば、上の画像はヴァレッタに残る騎士団長宮殿。当初はイタリア出身の騎士たちによる館として建設されたものを、後に騎士団長宮殿として増築されたそうな。(ついでながら、聖ヨハネ騎士団がかつて本拠としていたエーゲ海のロードス島にも騎士団長宮殿が残っている。)
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