ヨーロッパの歴史風景 近世編




西暦1564年、イタリア・ルネサンスの数々の傑作を残したミケランジェロが死去。


ミケランジェロとダヴィデとイタリア・ルネサンス

西暦1475年、ミケランジェロ・ディ・ロドヴィコ・ブオナロティ・シモニ(つまり、ミケランジェロ)誕生。

ミケランジェロの傑作 「ダヴィデ」(アカデミア美術館、フィレンツェ、イタリア) 西暦1488年、ミケランジェロがイタリアの古都フィレンツェで修行を始めた。当時のミケランジェロは、メディチ家の大ロレンツォの支援を受けていた。

西暦1492年、ミケランジェロがボローニャに移った。西暦1496年、ミケランジェロがイタリアの中心ローマに移った。

西暦1500年、ミケランジェロがフィレンツェに戻った。この頃、ダヴィデを制作したといわれる。右の画像はフィレンツェのアカデミア美術館に展示されているダヴィデのオリジナル。(シニョーリア広場にあるダヴィデは複製品だよ。)

ミケランジェロとサン・ピエトロ大聖堂とピエタ

西暦1503年、法王ジュリオ2世の招請を受けたミケランジェロがローマへ移った。

西暦1508年から1512年にかけて、システィーナ礼拝堂の天井画の制作に携わった。

西暦1528年、危機に瀕したフィレンツェに戻り、要塞建設に携わった。

西暦1564年、ミケランジェロがローマで死去。ミケランジェロの晩年の大作がシスティーナ礼拝堂にある「最後の晩餐」だった。

その頃の彼が携わっていたサン・ピエトロ大聖堂が完成したのは、西暦1590年のことだった。(下の画像は、ヴァティカンのサン・ピエトロ大聖堂で見ることの出来る、ミケランジェロの「ピエタ」。)

ヴァティカンのサン・ピエトロ大聖堂にあるミケランジェロの「ピエタ」(ローマ、イタリア)

なお、ミケランジェロはいくつかのピエタ像(悲嘆にくれる聖母マリア)を制作している。その一つが、上の画像にあるサン・ピエトロ大聖堂のピエタ。

その他に、未完のピエタ(フィレンツェのドゥオモ博物館)、パレストリーナのピエタ(フィレンツェのアカデミア美術館)、ロンダニー二のピエタ(ミラノのスフォルツェスコ城)などがある。

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