琵琶湖の8倍の広さを持つナセル湖スーダンとの国境に近いエジプト南部の砂漠の中に、琵琶湖の8倍もの面積を持つ巨大な湖がある。それがナセル湖なんだけど、その風景が下の画像。(ちなみに、下の画像の奥に見える島の上の建物は古代ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスが建てたカラブシャ神殿。)
このナセル湖は自然のものではなく、人間の手によって生み出されたもの。西暦1970年に完成したアスワン・ハイ・ダムによって誕生した人工湖なんだ。そのアスワン・ハイ・ダムは当時のエジプトのナセル大統領が旧ソ連の支援を得て建設したもの。生み出された人工湖は、その大統領にちなんで名づけられたわけだね。
アスワン・ハイ・ダムの巨大な堤ナセル湖という広大な人工湖を作り出したアスワン・ハイ・ダムの堤もまた巨大だった。10年をかけて完成したダムの堤の高さは 110メートルを越え、その最上部の幅は 40メートル、堤の基底部の幅は最も広いところで 1km近い。堤の長さは 3.8kmもある。
そんな山のようなアスワン・ハイ・ダムの堤の上の様子が上の画像なんだけど、家内はここで名言を残している。ダムは何処にあるの ・・・ って。そう尋ねるのも無理はない。それほどにでかかった。
緑と電力と魚をもたらしたアスワン・ハイ・ダム巨大なアスワン・ハイ・ダムの巨大な堤の上を走るバスの車窓から眺めた下流の風景が下の画像なんだけど、周囲が緑に覆われているのがわかるよね。このダムのおかげで砂漠の灌漑が進み、エジプトの農業生産の増大が可能となった。
のみならず、アスワン・ハイ・ダムは水力発電にも利用されている。またダムが作り出したナセル湖で盛んになった漁業はエジプトの人々に豊かな水産物を供給しているらしい。
アスワン・ハイ・ダムが惹き起こした問題点このページの冒頭に掲げた画像をもう一度見て欲しいんだけど、画像の奥にはカラブシャ神殿が見えているよね。このカラブシャ神殿はダムが作り出したナセル湖の湖底に沈むと危惧されていた。それを避けるためにユネスコの主導によって多くの国々が協力し、神殿を高台に移転することによって水没を免れたんだそうな。他の遺跡でも同様の措置が採られている。その代表が多くの観光客を集めている古代エジプトの重要な遺跡 アブ・シンベル大神殿だよね。しかしながら、水没から救い出すことの出来なかった遺跡も少なくなかった。
水没の危機が迫ったのは遺跡だけじゃない。人々の暮らす村々もダム湖の底に沈んでしまった。その為に10万人近い人々が他所への移住を強いられたらしい。特にこのあたりに多いヌビア人は、ダムの下流の新しい村、アスワンやカイロなどの都会に移り住んで行ったとか。(上の画像はアスワンのレストランで見たヌビア人のダンス。)
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