連合国軍がイタリア本土に上陸第二次世界大戦真っ最中の西暦1943年7月、連合国軍はイタリア南部のシシリア島に上陸した。その後、イタリア国内のクーデターによって独裁者ムッソリーニが失脚し、新しく成立したイタリア政府は連合国との講和を模索し始めた。しかし、ムッソリーニ失脚後もナチス・ドイツ軍はイタリア各地に展開し、連合国軍の上陸を阻もうとしていた。他方、連合国軍はイタリア南部の街ナポリを占領することを目指していた。ナポリ港がイタリア本土上陸後の補給に役立つと見込まれたんだ。そして9月、連合国軍はシシリア島からイタリア半島の先端にあるカラブリアに渡った。いよいよイタリア本土上陸作戦が始まったわけだ。
その数日後の西暦1943年9月9日、連合国軍のイタリア本土侵攻作戦の主力部隊がナポリの南にあるサレルノ近辺に上陸を始めた。上の画像は今のサレルノの砂浜と街並みなんだけど、上陸する連合国軍の前に立ちはだかったのは、水着を着てのんびり過ごす人々ではなく、準備万端のナチス・ドイツ軍の兵士たちだった。
パエストゥムにも展開した連合国軍本格的な上陸作戦を始めた連合国軍の部隊は、サレルノのみならず、近くのパエストゥムなどでも上陸したらしい。ナチス・ドイツ軍はそのパエストゥムにも戦車部隊などを置き、連合国軍部隊の進撃を阻もうとした。連合国軍は艦砲射撃を加えてナチス・ドイツ軍を撃退したんだそうな。
余談ながら、パエストゥム(ポセイドニア)には古代ギリシャ人の遺跡が残っている。例えば上の画像に見る古代のアテナ神殿などがある。戦火で貴重な古代遺跡が破壊されなかったことがとっても有り難いよね。
ナポリに向かって進撃した連合国軍サレルノ周辺の海岸地帯を確保した連合国軍は、上陸作戦の主要な目標だったナポリを目指して進撃を始めた。しかし、ナチス・ドイツ軍がイタリア南部の中心都市ナポリを黙って明け渡すはずもなかった。
ナポリには地下に潜って抵抗を続けたナチス・ドイツ軍の戦車(上の画像)も残されていた。ナポリの地下に残る古代遺跡を見て歩くナポリ・ソッテラネア(地下探検)に参加した時に撮影したものなんだけどね。
連合国軍によるナポリ占領ナチス・ドイツ軍と連合国軍との争奪戦は、ナポリの街に破壊をもたらしてしまった。例えば14世紀前半に建てられた歴史あるサンタ・キアーラ修道院も破壊されてしまった。下の画像は終戦後に再建されたサンタ・キアーラ修道院の様子なんだ。(ちなみに、サンタ・キアーラ修道院の奥には、美しいマヨルカ焼きに飾られたクラリッセのキオストロもある。)
そんな戦いの末、10月に入ってすぐにナポリの街は連合国軍によって占領されている。更に10月中旬にはイタリア南部でのナチス・ドイツ軍の抵抗が終わっている。
余談ながら、連合国軍がイタリア半島を北上しているまさにその時、西暦1944年3月のことなんだけど、ポンペイを壊滅させたヴェスヴィオ火山が噴火している。連合国軍の兵士たちもさぞかし驚いただろうね。
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