ヨーロッパの歴史風景 近代・現代編




西暦 1914年、イギリスがドイツに対して開戦し、第一次世界大戦の戦火が拡大した。


イギリスの首都ロンドンにある
ピカデリー・サーカスの平和な風景

イギリスの首都ロンドンにあるピカデリー・サーカスといえば、世界中の観光客が集まる場所。エロスの像の周囲には、若者たちが集まっている。そんなピカデリー・サーカスの平和な風景が下の画像だ。

イギリスの首都ロンドンにあるピカデリー・サーカスとエロスの像

ところが、こんな平和なピカデリー・サーカスも戦争に巻き込まれたことがあるんだ。もちろん空襲もそうなんだけど、それとは別に。

時は第一次世界大戦の頃、参戦したイギリスの兵士として出征する若者たちを送るために、愛国主義者の合唱団が「さらば、ピカデリー」という歌を唄いながら送り出したんだそうな。昔の日本で言えば、「勝ってくるぞと勇ましく・・・」という感じだったのかな。

西暦1914年8月、イギリスがドイツに対して開戦し、
第一次世界大戦の戦火が拡大

オーストリア・ハンガリーがセルビアに対して宣戦布告したのは西暦1914年7月28日のこと。それから数日のうちに第一次世界大戦の戦火は世界に広がっていったんだ。

8月1日にはドイツがロシアに宣戦布告。8月4日にはドイツが中立国ベルギーに侵入。それを知ったイギリスは直ちにドイツに対して開戦したというわけだ。

当時のイギリスでは志願兵制が採用されていた。前線へ送る兵士を確保するために、イギリス政府・軍部は若者たちに対して兵士として志願するようにと呼びかけたらしい。

当時の陸軍大臣キッチナーも、トラファルガー広場で演説し、イギリスの若者たちに呼びかけている。(下の画像はキッチナー陸軍大臣が演説したトラファルガー広場。奥に見えるのは、ナショナル・ギャラリー。)

イギリスの首都ロンドンにあるトラファルガー広場とナショナル・ギャラリー

今のトラファルガー広場は、たくさんの鳩と多くの観光客が集まる平和な場所なんだけどね。(但し、円柱の上からはナポレオン戦争時のトラファルガー海戦の英雄ネルソン提督の像が見下ろしているけど。)

イギリスにおける徴兵制の導入と徴兵忌避・反戦

開戦直後、イギリス政府・軍部の呼びかけに対して若者たちは熱狂的に応え、多くの兵士が前線に向かっていったらしい。ところが第一次世界大戦が長引き、しかも戦争の悲惨さが知られるにつれて、人々の姿勢は変わっていったんだ。

その結果、イギリスは次第に十分な数の兵士を集めることが出来なくなっていった。そして西暦1916年1月には、徴兵制が導入されたんだ。しかも、当初は独身男性のみを対象としていたのが、後には妻帯者をも徴兵の対象とした。

当時のイギリスにシーグフリード・サスーンという詩人がいた。私は彼の詩を読んだことも無いんだけどね。彼は第一次世界大戦に参加しているんだけど、戦場で悲惨な状況を目にし、やがて反戦詩人となっている。そして戦争で受け取った勲章をテムズ川に投げ捨てたんだそうな。

イギリスの首都ロンドンを流れるテムズ川と戦艦ベルファスト号

上の画像は、イギリスの首都ロンドンを流れるテムズ川の風景。画像の左に見えている戦艦ベルファスト号は第二次世界大戦で活躍したんだそうな。実はロンドンの風景には戦争にまつわるものが多いみたい。

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