ヨーロッパの歴史風景 中世編




西暦1404年、フランスのヴァロワ家系初代ブルゴーニュ公フィリップ・ル・アルディ大胆公(豪胆公)死去。


ブルゴーニュ公フィリップ大胆公(豪胆公)のフランドル遠征の戦利品

中世ブルゴーニュ公国の古都ディジョンの観光スポットの代表といえば、ノートルダム教会の上に見ることの出来る仕掛け時計 ジャックマール(下の画像)かな。

フランスのブルゴーニュ地方の古都ディジョンのノートルダム教会の上の仕掛け時計ジャックマール

この仕掛け時計 ジャックマールは、西暦1382年にフランドル(ベルギー)で反乱が起きた際にフランス王家と共に出兵したブルゴーニュ公フィリップ・ル・アルディ大胆公(豪胆公)が戦利品として持ち帰ったものなんだ。

ブルゴーニュ公フィリップ大胆公(豪胆公)のパリ鎮圧

フランドルの反乱と連携する動きを見せていたのが、フランスの首都パリの市民たちだった。というわけで、フランドルの反乱を鎮圧したフランス王家の軍とブルゴーニュ公フィリップ大胆公(豪胆公)の軍はパリへと向かった。その軍事力を前にパリの市民たちは抵抗をやめて開城したんだそうな。

フランスの首都パリのシテ島にあるノートルダム大聖堂の内部

フランスの首都パリの治安を回復したブルゴーニュ公フィリップ大胆公(豪胆公)たちは、シテ島にあるノートルダム大聖堂(上の画像)で勝利に感謝したらしい。

ブルゴーニュ公フィリップ大胆公(豪胆公)のフランドル獲得

時代は少し遡って西暦1369年、つまりブルゴーニュ公フィリップ・ル・アルディ大胆公(豪胆公)が叙任されて数年後、彼はマルグリット・ド・フランドルなる女性と結婚した。フランドル伯の相続権を持つ女性だった。

そして西暦1384年、フランドル伯ルイ・ド・マールが亡くなった。その結果としてマルグリット・ド・フランドルの相続権に基づき、ブルゴーニュ公がフランドル、アルトワ、フランシュ・コンテなどを獲得した。

ベルギーのブリュッセルのグラン・プラスにある王の家の夜景

こうして一時はフランス王家をもしのぐと言われたヴァロワ家系ブルゴーニュ公家の繁栄の基礎が広がったわけだ。(上の画像はベルギーのブリュッセルのグラン・プラスにある王の家の夜景。ブルゴーニュ公家の血をひくハプスブルク家の皇帝カール5世も政庁として使ったらしい。)

ブルゴーニュ公フィリップ大胆公(豪胆公)とフランス王家

フィリップ大胆公の父ジャン2世や兄シャルル5世がフランス王だった頃には、ブルゴーニュ公はフランスの為に百年戦争で奮戦していた。ところが西暦1380年に甥のシャルル6世がフランス王となって以後、若い王を補佐する叔父たち、つまりアンジュー公ルイ、ベリー公ジャン、そしてブルゴーニュ公フィリップの3人が勢力争いを始めてしまった。

西暦1388年には成長したフランス王シャルル6世は親政を始めた。ところが、そのシャルル6世が西暦1392年には正気を失ってしまった。イングランドとの百年戦争が続く中、フランス側では混迷が深まっていく。

フランスのブルゴーニュ地方の古都ディジョンの市立美術館で見たブルゴーニュ公フィリップ・ル・アルディ大胆公(豪胆公)の墓碑

そして西暦1404年、ヴァロワ家系初代ブルゴーニュ公フィリップ・ル・アルディ大胆公(豪胆公)が亡くなった。(上の画像は中世ブルゴーニュ公国の古都ディジョンにあるディジョン市立美術館で見ることの出来るフィリップ大胆公の墓碑。)

ブルゴーニュ公位はフィリップ大胆公(豪胆公)の息子のジャン・サン・プール無畏公(無怖公)が継承した。でも、百年戦争とブルゴーニュ公家の物語はまだこれから紆余曲折があるんだ。

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