ブルガリアを支配するオスマン・トルコ西暦1396年、かつてはビザンティン帝国をも圧迫した第二次ブルガリア帝国の全ての領土がオスマン・トルコによって征服され、第二次ブルガリア帝国が滅亡した。以後、数百年にわたってブルガリアの人々は、オスマン・トルコの支配下にとどまっていた。18世紀後半より、ブルガリアには独立を目指す動きが表れ始めた。しかし、衰退に向かい始めたとはいえオスマン・トルコの支配が揺らぐことは無かった。 ロシア帝国とオスマン・トルコとの戦い1877年、皇帝アレクサンドル2世治下のロシア帝国がオスマン・トルコに宣戦を布告。ブルガリアの人々は、オスマン・トルコと戦うロシア軍に、義勇兵として参加したんだ。その後、サン・ステファノ条約により休戦が成立。更に1878年のベルリン条約により、オスマン・トルコの宗主権下ではあったが、自治権を持つブルガリア公国が成立した。 右の画像は、ブルガリアの首都ソフィア市内に立つ「解放者騎馬像」。ブルガリアの自治獲得に貢献したロシア軍将兵を記念して立てられたもの。当時のロシア皇帝アレクサンドル2世の姿を象っていると言われる。 アレクサンドル・ネフスキー教会 (ソフィア、ブルガリア)そして下の画像にあるのは、1912年に完成したアレクサンドル・ネフスキー教会。上の解放者騎馬像と同じく、ブルガリアの自治回復に貢献したロシア軍将兵を記念して建てられたものなんだそうな。余談ながら、アレクサンドル・ネフスキーとは、ロシア正教を守るために戦ったロシアの英雄なんだ。ブルガリア正教とロシア正教とはキリスト教の別の宗派ではあるけれども、異教徒のオスマン・トルコからの自立の為に戦ったロシア軍の将兵は、ブルガリアの人々にとってアレクサンドル・ネフスキーだったわけだよね。
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